横浜「上郷(瀬上の森)開発事業」の準備書
                ― HEPの初適用

                            2006 12. 14 島津康男
  
 本アセスの特徴 
 2006年11月24日に、東急建設による表記事業の環境影響評価準備書(734ページ+資料編342ページ)が公告縦覧に入った。方法書から9ケ月、ページ数を含めて手続きとしてはまあまあ合格といえよう。この案件については、平成元年に一度アセスが行われたが、事業凍結によって流れている。33.5haの住宅団地開発であるが、今回は面積はそのままで、保全緑地を従前の17%から50%に増やし、この緑地を東急建設が横浜市に寄付する、高層マンションを減らし計画人口を3500人から2050人に減らす、湿地保全に留意するなどして、環境への影響を軽減するとしている。計画規模を減少する場合は再アセスをしないのが普通であるが、今回は事業者の意向で改めてアセスを行うことにしたもので、この点でも注目される案件である。
 2月の方法書公表の段階でのユニークな市民活動については、3月31日の「アセス情報」で取り上げている。すなわち、
   「起」(方法書に書いてないこと、書いてあっても疑問に思うこと)
      ⇒「承」(環境への影響で心配すること)
         ⇒「転」(安心のために必要なのは)
           ⇒「結」(このためにしてほしいのは)
の四段論法を統一した上で、それぞれのメンバーが自分の考える問題点をまとめており、その中でホタルの共同調査を提案するなどしている。事業の行われる「瀬上の森」地区は横浜市に残された少ない里山でホタルが有名であり、市民はこれに関心を持っていた。
なお、市民グループ(瀬上の森パートナーシップ)は方法書の場合と同様、準備書も自分たちのホームペ−ジにアップしている。方法書の時には、著作権侵害のクレームが出て、公示期間に限るという条件で合意したそうである。

HEP ここでは、資料編にある「HEP手法による定量的環境影響評価」について紹介する。HEP(habitat evaluation procedure)は、開発による野生生物種の生息環境(habitat、ハビタット)の変化を定量的に予測する手法で、最近アセスで使われる事例が増えてきた。本案件では、日本におけるHEP導入の先達である田中章教授(武蔵工業大学)をコーディネーターとして、事業者、HEPコンサルタント、評価対象種の生物専門家にオブザーバーとして市民グループが加わったHEPチームが作業を行っており、民間事業では日本初の実施例である。資料編に載っている90ページの報告書は、手法の具体的解説にもなっていて、それだけで価値のあるものといえる。ただ、オブザーバーがどんな寄与をしたのかが書いてないのは残念である。なお、時期を同じくして、田中章教授は、「HEP入門<ハビタット評価手続き”マニュアル>」朝倉書店 2006年11月、266ページを刊行している。
 対象としている種は、ゲンジボタル・ヘイケボタル・ヤマアカガエル・ニホンアカガエルであるが、詳細は準備書をみていただくことにして、ここではゲンジボタルを例として議論の流れを紹介する。ホタルには住民の関心も高く、この成果によってHEPの真価が問われるといってよい。
 ゲンジボタルの生息条件として
   1 幼虫期  川の水質(主にDO)・流速・底質・エサとしての巻貝の存在
   2 蛹期   上陸のしやすさ(流速)・蛹化場所の土壌状態
   3 成虫期1 生活 植生などの地表条件
   4 成虫期2 繁殖 水辺から繁殖空間までの障害の有無
   5 全成長段階を通じて人工照明の程度
をあげ、幼虫期についての適性指数SI1を
   流水域(水路)1.0、止水域(ヨシ群落・湿地・溝)0.5、陸域(以上の他)0.0
と、1(最適)と0(最悪)の間で数量化する。
蛹期のSI2については、岸辺の種類として
   土1.0, ブロック積み0.5、土のう0.3, コンクリート・橋の下0.0
成虫期1のSI3については、地表の状況から
   樹林1.0.草地・舗装されてない道路・歩道0.7、舗装道路0.2、建造物0.0、
成虫期2のSI4については、
   障害物なし1.0、フェンス0.8、道路0.2、建造物0.0
人工照明のSI5については  照度1ルクス未満1.0、それ以上0.0 
とする。各適正指数SIの数量化には専門家が助言している。ただ、照度環境の単純な閾値設定にはいささか疑問があるし、街灯を含め建造物の種類・構造・位置が決まらないと、照度そのものの値が決まらないのではないか。
 ハビタットを規定する植生・流水域・施設などの状況は地図上で読み取るわけであるが、この各々の状況区分をカバータイプとよんでいる。これは地図の凡例に相当するものである。次にこれら5つのSIの特性に応じて加算や相乗算を行って結合したハビタット適性指数HSIを求めるとともに、オーバーレイの手法にならってHISに地図上の該当カバータイプごとの面積をかけて総合点数THUを求める。

結論 ― 代替案とゼロ案 比較するのは
  現状
  将来A  現計画が達成された場合(湿地保全などの措置あり)
  将来B  湿地保全などがなく、通常の開発行為の場合
  将来C  本事業を実施しない場合(これまでのトレンドが続くとして、道路沿いの平坦地に開発が進行すると想定)
で、将来として10年後を想定している。このように、HEPは基本的に代替案の相対評価である。そして、THUが将来Cに比べて大きいケースはネットゲイン(ゲンジボタルにとって自然環境はよくなった)、少ない場合はネットロス(悪化した)と評価する。生物を扱うには、空間特性だけでなく、時間とともにどう変化するのも重要であり、例えば50年にわたってTHUを経年積算することが多いが、ここではこの積算までは行っていない。
 アセスでは「ゼロ案」がよく問題になるが、これは単純な「事業をしない場合」でなく、「事業をしない場合の将来の状況」であり、上記の将来Cをベースラインとするのはこの意味から妥当である。ゲンジボタルについての本報告書での結論を示せば、「将来Aは将来Cに比べて9%のプラス、将来Bは将来Cに比べて40%のマイナス」で、環境配慮の効果があるとしている。ただし、現状に比べると将来Aでも38%減だが、このことを問題にしていないのは不思議である。ゲンジボタル以外の生物種についても同様な手順を行う。環境配慮の効果はヤマアカガエルで特に著しい。
 SIの数量化の判断が適正であるか、各SIの結合式が適正であるか(これらは過去の類似事例からも判断できるが、このことには触れていない。前述の田中教授の本にもゲンジボタルの事例が引用されている)。さらに将来状態の想定(特に将来Cの想定)が妥当か、などいくつもの不確定性を重ねての結論なので、前提条件が変わった場合に結論がどう変わるかを調べる感度解析が必要で、少なくも結論に一番敏感なのがどの因子かを示してほしい。また、このHEPは特定の生物種について物理・化学環境や植生状態への適応度で判断しており、例えばゲンジボタルの幼虫のエサの入手可能性も水流の環境状況に還元しているので、競争・すみわけといった他の生物種の影響を直接に考慮してはおらず(ホタルでは考慮の必要がないのか)、厳密な意味での生態系の解析ではないことを注意したい。
 なお、準備書本編第二章の「事業計画」の2.10でHEPの概要を記載しているものの、5.10の「動物・植物」の章では、「多自然工法による水路の移設、公共下水道の整備による水質改善など、水生生物の生育・生息環境の向上を図っており」など在来型の記載に止まっており、折角の上記のHEP解析の成果を直接引用したものとなっていないのは奇異な感じを与える。
 
「HEP入門」ここで、前に述べた田中教授のマニュアルについて一言しておきたい、これまでも、生態系のアセスメントについては、業界団体による
財団法人 日本生態系協会 環境アセスメントはヘップ(HEP)で生きる −その考え方と具体例 ぎょうせい 平成16年 207ページ
   社団法人 日本環境アセスメント協会 環境アセスメントにおける生態系
     調査解析方法 日本環境アセスメント協会 平成17年5月 154ページ
があるが、研究サイドのものとしては、本書がはじめてである。それだけに、学習テキストとしても適切であり、特に30ページある第7章「HEP例題」はそのためのものである。発祥地がアメリカであることから、大半はアメリカの事例であり、日本のそれは50ページであるが、次々に改良が加えられ、本「上郷開発」で使われたSI,HTUの他にもいくつもの指数が使われていて混乱してくる。アメリカでの実例としてあげられている「ダム撤去と生態系復元」「景観評価」は日本でも適用の試みがあってよい。そして、本報告について言及したような適用限界についても本書から学んでほしい。



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