アセス情報 090427
       
      「普天間飛行場代替施設建設事業に係る
               環境影響評価準備書」の説明会


                       島津康男

どんな所
 表記の準備書が4月2日に公告縦覧に入ったが、その説明会が4月22,日に名護市久志(予定地から湾を隔てて北に4km)、23日に隣の宜野座村松田(西に4km)、そして24日に直接の地元の名護市辺野古と3日間にわたってそれぞれの地区の公民館で説明会が開かれ、私はそのすべてに出席してきた。
 久志、松田では300席が用意され、最前列が行政委員席(市会議員や地区区長)、70%が地元地区席、その後ろの15%がその他の地区席、最後部の15%が一般席と立て札がある。地
 元の出席者は久志、松田でともに100名程度、防衛局が作った新しい辺野古野公民館では600の座席に対して130人の出席だった。一方、後ろの地元以外の席は満員でメディアを含め立ち見の人も多い。又、どの会場にも屈強な職員20名が入口を固め、軍服の外局職員ではないものの、腕を後ろに回して学生応援団のように突っ立っているのは流石と思う。それでいて、やって来る住民の車が駐車に混雑しているのに、誘導をするわけでもない。
 名護市の中心街は那覇から70km、高速道路を使っても1時間かかる。そして、名護から北は「やんばる」とよばれる原生林で、米軍のジャングル戦闘の訓練場になっていると同時に、那覇市など南の都市部のための水源地であり、点在するダムからパイプで送水される。そして、その輸送区間はこれまた米軍基地でその中を通せないので、海岸部に沿って埋設されている。その海岸部には高速道路も走る。
 名護市の中心街は沖縄本島の西岸、つまり黄海側にあり、リゾートホテルが並ぶが、辺野古は反対の東岸つまり太平洋岸にあり、中心街から40km、山の中を30分かかって島を横断しなくてはならない。そろそろ梅雨が始まっているのか、夜は先が見えにくい位のガスである。那覇を中心とする南部の都市部とは隔絶された地区であるからこそ、飛行場が地域振興の一環でもある。もっとも、事業予定地の辺野古にも海兵隊の基地があり、だからこそれに隣接して海兵隊の飛行場が考えられたのである。基地に隣接して沖縄工業高専の新しいキャンパスが作られ、国際海洋環境情報センターなど、公共投資は既にはじまっている。

説明会の様子 さて、3回の説明会は全く同じペースで進む。沖縄といえば時間にルーズなのが有名で、「沖縄時間」とよばれるが、何と6時半にきっかり始まり、防衛局の幹部の紹介と挨拶、進行の注意があって、6時40分から、「準備書の概要」のタイトル、手続きの流れ図に始まる総計64枚のパワーポイントスライドを使っての1時間の説明に入る。このスライドのコピーは、地元の各戸に配布される29ページの「あらまし」とともに入口で渡される。
 準備書の実物は、前に「アセス情報」で述べたように前代未聞の3分冊総計5400ページもある。これまで「準備書は電話帳の厚さがあり、とても読めない」の苦情が多かったのに、今回はそれどころか「枕3つ」の高さである(空港に着いてから名護に行く途中に、閲覧場所の一つである県庁に行ってみたが、2部計6冊が鎖でつないであった)。それだけの内容をスライド1枚1分のペースで説明し、しかも3夜とも一言一句同じことを淡々と読み上げ、7時40分にぴたりと終了する。説明者は3夜とも同一の防衛局職員で、徹底的にリハーサルして来たようだ。
 旧い公民館は音響効果が悪く、さらに説明の後の質疑の時間には、マイクを口に近づけすぎる質問者が多くて、ハウリングがひどかったが、流石に新しい辺野古の公民館は広いにもかかわらず、よく聞こえた。辺野古は漁業集落なので、開会前から外で一杯飲んでいる集団がおり、景気をつけてから会場に入っていくのは面白かった。なお、名護自身はイルカ漁で有名だったところで、今でもクジラの名前で食べさせる店がホテルの隣にあった。

質疑応答の時間 
説明者とは別の防衛局の職員が進行をつとめるのであるが、挙手で発言を求める人が何時も20人位あるのに、指名を明らかに選別しているらしい。
 市会議員にはじまって行政委員の質問から始まり、挙手の数が多い最後部の地元以外の席・一般席の市民団体は意識的に指名されない。どの説明会とも4、5人の質問と回答が終わったところで閉会が宣言される。質問が長いと回答を短くして時間を操作しているようだ。マイクを奪って発言を求めようとするのは、どこの説明会でも見られる光景だが、たった一つのマイクを管理しているのはこれまた屈強な防衛局職員で、選んだ質問者のところに走り寄り、マイクを奪われないように体を張っている。でも、それを上回るテクニックで、マイクを握って防衛局幹部の席に行き、目の前で質問する女性がいたのには驚いた。8時半になると一方的に回答側の防衛局幹部が退席し終了する。
 なお、24日の夜には名護で「ヘリ基地反対協」、25日の午後には那覇で「沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団」が学習会を開いている。どうして同じ時間に同じ名護で学習会を開くのだろうかと思ったら、24日の学習会は早くから日時が決まっており、それを知って、後から防衛局が辺野古での説明会をぶつけたとの噂がある。24日には説明会が済んでから車で30分のところの学習会にも短時間ながら参加した。

質問の内容
 事故が多いオスプレイ(普通の固定翼航空機とヘリコプターの合いの子)の配備はあるのか。大量の土砂はどこから採るのか。今の普天間飛行場をみても騒音は心配だ。デモ飛行をして体験させろ(これは中部空港のアセスでやり、滑走路の位置・方向の変更につながった)。予測に使っている飛行回数はウソだ。隣のハンセン基地や北部訓練場との間の往来など、もっと多く飛ぶはずで、結果として集落の上を通るのではないか(集落の上を飛ばないように、今回のアセスでは着陸と離陸の方向を変えるV字型滑走路になった)。
 埋立による水流の変化は予測より大きいのではないか。準備書の図によると、事業予定地の中にウミガメの生息地があるではないか。こういった誰もが抱く疑問の質問が多かった。逆にいうと、「事業予定地の北にいるジュゴンが辺野古には来ず、従って影響はない」との考えられない結論に対する質問は出ていない。又、「実現可能な範囲で可能な限り対策をする」(保全対策について必ず出てくる常套表現)というが、事業者である米軍がそんな責任を果たすはずはがない」との発言はこの事業ならではだ。
 事業者側の回答は、「影響は少ない」「対策に努める」に終始したが、デモ飛行を検討するとの回答はあった。「地元に現金が来るとの噂は本当か」の質問に対しては流石に答えがなかった。全体として、防衛局のペースで一方的に進行し、また、日によって質問を変えるといった住民側の作戦もなかったようだ。質問でなく、絶対反対との宣言をする人は3箇所ともあったが、それは質問ではなく意見だとして無視された。
 最近では、「合意形成の道具」としてのアセスを生かすため、住民が求めるところに出向く「出前方式の説明会」や「ファシリテータと呼ぶ中立の専門家による司会」など、いろいろな工夫がされているのに、20年前のような旧態依然の説明会を見ると、「参加型アセス」を普及しようとしている私には、はがゆいよりも、無力な自分が恥ずかしい思いをした3日間だった。もっとも、那覇では「那覇空港の拡張」「那覇モノレールの延伸」についてPI(参加型計画)が進行中なので、防衛省が頑ななだけかも知れない。

このアセスはジュゴンで決まる
 なお、5km北にいるジュゴンが、より海草の多い事業予定地に寄り付かないのは、ヘリで追っかけたり、海底にソナーをぶち込んで接近を見つけたりの調査そのものに原因があると思うが、「本当の生態を知るには一旦静かにして待つのがよい。そのような知恵のある動物だ」との学習会での専門家の意見になるほどと思った。
 準備書の結論は「辺野古に寄り着かないので、問題はない。用心のため工事中、供用後の航行に注意する」であるが、そんなことで済むはずはない。本当は、このような無神経な調査をしたコンサルタントを呼び出して、生物学者と対決させたいところだ。環境省は「生態系の定量評価」を声高くいい、一方で保全生態学と称して、移植をしてもいわゆるMITIGATIONで切り抜けようとの手法があるが、これも通用しないのが、ジュゴンなのである。
 コンサルタントといえば、飛行回数に不確定性がある場合に感度分析をするといった環境省の指示や、通しページにしたり、厚い時はバインダー製本にしたり、電子版にするといった最近のドキュメンテーションの傾向、さらに住民参加の新手法などよそでの新しい動きを知っているはずなのに、旧態依然のままなのは、有名な大手だけにアセスに関係する者として残念至極だ。

その他 なお、辺野古港の岸には反対運動の座り込み小屋があり、既に1800日続いている。修学旅行のルートになっているらしく、この日も国際キリスト教大学付属高校の一行が来ていた。又、7500haの北部訓練場のうち4000haを返還するのに伴い、返還地域にある7つのヘリポートを返還されない地域に移す計画があり、このアセスが進行中である。そして、移設反対のための抗議小屋がここにもある。辺野古から1時間のこの地区にも行ってきたが、正に昼なお暗いジャングルだ。海兵隊の新兵は入隊してすぐ沖縄で訓練するのだが、サバイバル訓練に耐えられなくて、小屋まで出てきて食べ物をねだると聞いていたのに、その光景にはお目にかからなかった。なお、どの座り込み小屋にも犬が住み着いていて、「避妊手術のためのカンパを」との札が下がっているのはご愛嬌だった。
 昼間は上記の所に行くため、昼も夕方も食事をとることが出来ず、夜は夜で9時を過ぎてホテルに帰っても食堂はもう閉っており、大変な目にあった。結局、朝食を済ませてホテルをでる時に、近くのコンビニでお結びを買って2回をそれで過ごすという知恵を出す他ない。そして、9時半を過ぎてから飲み会なので、米の飯はお預けということになる。このホテルはプロ野球「日本ハム」のキャンプの宿舎で、悪いホテルではないのだが、午前に時間があるので、近くの床屋で時間を過ごそうとしたら11時からとのこと、沖縄の生活リズムに適応できなくて苦労した。
 はじめは予定地から湾を隔てて5kmのところにある超高級リゾートホテルに泊まろうとしたら、「あそこは4万する。それに一人で泊まるところではない」と笑われた。実は、騒音予測図によると、計画飛行ルートによっては70dBと微妙なところなので、そこから予定地を眺めて見ようと思ったのだ。

 たまたま日本全体の天候が悪く、名古屋の空港では「札幌行きの便は帯広着に変更」などとアナウンスしていたが、名古屋発も遅れただけでなくコースを変えたらしく、3時間半と予定より1時間も遅くなってしまった。これはソウル往復の時間だ。帰りも「広島行きの便は岡山に変更」などとアナウンスしていた。ついつい余計なことを書いてしまったが失礼。
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