080513 海津大崎の桜
 
今年は琵琶湖北端の海津大崎の見事な桜トンネルを見る機会を得た。途中、道の駅「藤樹の里あどがわ」に立ち寄った。中江藤樹の生まれたところである。小生は、しばらく前までは近江八幡のほうの生まれと思っていた。藤樹は「近江聖人」と呼ばれていたので、その近江につられて勘違いしていた。
 今どきの若い人はあまり藤樹を知らない。小生の年代のものは、小学校の教科書に乗っていたから覚えている。中江藤樹は、江戸時代初期の儒学者で、「わが国の陽明学の祖」と言われる。高島で生まれ、15歳のとき藩主の移封に伴って伊予大洲藩士となったが、母への孝養と身体の理由で高島の戻ることを願い立てしたが、拒否されたので脱藩した。
 この母親への想いが教科書に載った理由の一つと思われる。「致良知」という言葉を生涯唱えていたという。敬愛の心を持って相手を理解し、思いやりの心を掛けることである。相手の話を聞き、上下を越えた平等思想に特徴がある。今この世に再出現して欲しいような人である。門人に熊沢蕃山がいる。
 藤樹の里の北東、琵琶湖の北端に楕円のように突き出たところが海津大崎であり、湖に沿って約4kmに亘ってソメイヨシノを主とした600本の桜が植えられている。もともとは道路修理作業員の宗戸清七氏が作業の合間に、自費で購入した若木を植えたことに端を発し、それを引き継いで、昭和11年(1936年)に大崎トンネルが完成したのを記念して、当時の海津村(現在は高島市マキノ町)が植樹したものという。
 今では奥琵琶湖の春を告げる風物詩として多くの観光客が訪れる。桜の枝が琵琶湖の水を汲み上げるがごとくに水面に向かった姿は美しい。琵琶湖の風景と完全に一体化しており、沖合には竹生島が浮かんでいる。4kmという長い間を、所々に桜のトンネルになっているところを、ある人は車である人は歩いて楽しんでいる。
 桜並木が4kmも続くと、こんなに楽しんでいいのかと思えるほどである。「日本さくらの会」がさくらの名所100選を挙げていて、ここの桜も選ばれている。小生の目からは、湖水を背景とした桜並木は100選のうちでも上位に位置すると見た。
 小生は○○選というのはあまり好きではない。良いかどうかは自分で判断するから、役所や学会が勝手に選んでくれるのは迷惑である。試みに桜名所100選のうち、自分が桜の時に訪れたことのある処は27カ所であった。たったの四分の一だから、意見を言う資格はないが、そこに選ばれているところより、自分としてはもっといいと思う処は数ある。→ページのトップ

080510 桜ソング 
 「桜」「さくら」の題名の歌が多いのは、日本人が桜を好む一つの現われであろう。「桜」だけでなく「桜色舞うころ」のように桜の以外の単語や文が入ったのもある。桜が断トツかと思ったらもう一つあった。「ひまわり」である。ひまわりがそれほど好かれているとは知らなかった。
 桜を詠っている詩の中で、人気のあるはどの曲であろうか。古い曲としては、題に桜の文字は入っていないけれど「荒城の月」がある。桜の文字のある童謡に「さくらさくら」がある。
 1982年に南アフリカで行われた国際水質汚濁研究会議で、ワイン農場において大規模なバーべキューパーティーが行われた。ワインは大変美味しかった。その時、出席各国ごとにステージ上で歌を歌うことになった。突発的でもあり、選曲に掛ける時間がない。結局誰でも歌える歌で且つ日本を代表する花の「さくらさくら」を歌うことにした。
 しかし、乗りの悪い歌なので、ざわついた雰囲気では声が透らない。歌い終わってからわれわれ自身が、どうも冴えなかったなと慰め合った。オーストラリアのグループは、「ワルツィング マチルダ」のようなテンポが良くて誰でも知っている歌には敵わなかった。それ以降「さくらさくら」を聞く度に、その時のことを思い出す。
 桜に関する歌の中で一番歌われている曲はどれなのだろうか。合唱曲としては、春のうららの隅田川・・で始まる「花」であろうか。カラオケや学校では森山直太郎の「さくら(独唱)」がよく歌われているという。
 小生もこの歌が好きで、摂南大学最後の謝恩会の時、挨拶はせずにこの歌を歌った。司会の学生が歌う前に「誰の桜ですか」と聞いた。多分「さくらさくら」でも歌うと思ったのであろう。「さくら(独唱)」は盛り上がっていい。途中から学生が合唱してくれた。南アフリカのパーティーの時に、この曲があれば良かったのにと思う。
 その他よく歌われるのにコブクロの「さくら」や河口恭吾の「さくら」その他いろいろあるが、自分は福山雅治の「桜坂」、キムヨンジャの「桜橋」が好きである。花とは関係ないが、ゆずの「桜木町」もいい。
 桜の歌が多いのは、やはり日本人がもっとも愛する花であるからで、それだから国花になっている。若い人達も桜を題材にした歌を作曲・作詞する。椿や梅その他、きれいな花はいろいろあるが、なぜだろう。待ちに待った春に咲き始め、一斉に散るからだろう。
 やはり、散る姿の潔さが日本人の気性に合っているからと思ったが、花の下で宴会をするのに、桜が一番適しているからかも知れない。梅では寒い。椿では茣蓙も敷けない。やっぱり桜の木の下である。根を押さえ付けて酸素と水が届かなくなると、根腐れが起きて根が弱くなるが、「花より団子」族にはもってこいの樹木である。
環境への意識が高まったとはいえ、動植物に向き合う直接的行動・配慮はあまり進んでいるとは思えない。肉親を殺め、他民族を弾圧する。人間に対してすら思いやりが欠けるのに、動植物までにそれを期待するのは所詮無理か。
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080509 夙川の桜、滋賀県の桜 
 
50年も前、関西に始めて住むことになったとき、関西は桜が多いと思った。実際に面積あたりの数が余所より多いかどうか知らないが、電車の沿線に多く咲いている。出勤や買い物のついでに自然と目に入る。阪急の六甲の近くに下宿したが、武庫之荘から三宮までのどの駅で降りても、近くで多くの桜を見ることが出来た。
 圧巻は夙川べりの桜である。夙川公園(正式には夙川河川敷緑地)に1700本ほどの桜が植えられている。昭和24年に1000本植えられたのが始まりとのこと。ソメイヨシノ、ヤマザクラ、カンザン、オオシマザクラなどが植えられていているが、当時の小生は桜の種類はまったく知らなかった。
 桜の綺麗さのほか、散歩してすぐ電車に乗れる便利さが気に入った。桜の頃はよく行ったものである。阪急沿いの落ち着いた住宅街にある桜並木は、住宅沿いの桜並木として、現在でも第一級である。桜の頃でないときでも、苦楽園あるいは阪急神戸線の夙川駅から阪神・香枦園まで散歩するのは楽しい。桜の時期は言うまでもない。
小生の初めての就職時の歓迎会も、夙川上流の満地谷の桜の下で行われた。この時は酒癖の悪い上司とともに取り残され、上司をタクシーに乗せて、まだ地理が詳しくない道を帰ったという苦い思い出になってしまった。
 この辺りは阪神水道の送水管が通っていて、定期的に採水のために通った所でもある。
 関西を去って後も、下宿時代の同室の先輩(日本美術史上著名な狩野派の末裔)が結婚した後、夙川に住んでいるので、時々訪れた。もちろん後年関西に舞い戻ってきてからも桜の頃に行ってみた。ここにも鬱金も御衣黄もあるというから、それを見に行ってみたい
 立命館大学草津キャンパスで講義をするようになって、滋賀県に行くことが多くなった。JR京都線沿いはコスモス、菜の花、チューリップなどいろいろの花をめでることが出来る。桜の頃は、それほどの切れ目もなく桜の花が目に飛び込んでくる。大学のキャンパスの桜の木も、年を追うごとに大きくなり、門を入ってすぐ右手のグランドを一周取り囲んでいる木が、今年も綺麗な花を咲かせていた。日本はやはり桜の時期に合わせて、卒業式と入学式があるのが歳時記としてぴったりかもしれない。
 琵琶湖の周りも桜が多い。3月下旬から4月上旬にかけて琵琶湖の周りで桜の花が見えないところはないと言っていい。桜に囲まれるような湖である。その中でも、今まで自分が見た所としては、三井寺、彦根城、琵琶湖疏水は桜の木の多さと背景を合わせて、名所とするにふさわしい景観である。琵琶湖から少し離れるが、石山寺や延暦寺もいい。
 一昨年、滋賀県琵琶湖・環境科学研究センターの古田世子さんに案内されて、研究打ち合わせのためセンターを訪問した。そのとき見たセンターに入るまでの「神宮道」もすばらしい桜並木であった。
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080507 鬱金桜
 
宇治散策で見落とした黄桜「鬱金(ウコン)」を見ることが出来た。大阪・造幣局の桜の通り抜けは八重桜のトンネルだから、もしかしたら見られるかもしれないと思って出掛けてみた。あった。門を入って左側のすぐのとこに見つけることが出来た。探しに行って見つかるとうれしいものである。
 淡黄緑色の花弁数10〜15枚の花である。後で調べて分かったことだが、もともと江戸にあったものを京都の知恩院に植えられたとのことである。ショウガ科のうこんの根で染めた色に似ていることから付いた名前とのことである
 ピンク色が主である桜の中では変わり者であるがなかなか趣がっていい。この通り抜けは距離が約560メートルで、そこに120品種、370本の桜が植えてある。その中の8本が鬱金である。ここでは毎年「今年の花」というのを指定している。今年は「普賢象」という桜である。平成11年は鬱金であったが知らなかった。
 鬱金を淡緑色にしたようなのが「御衣黄」である。平成16年の「今年の花」であり、ここに計5本が咲いている。
 鬱金は次第に花の中心が淡紅色に変わってくるので、1本の樹で2回楽しめるとのことであるが、造幣局の通り抜けは1週間だから、2回目は楽しめない。しかし、神戸市の王子公園近くの青谷川の堰堤700メートルにかけて60本の鬱金が植えてあるとのことである。一度見てみたいと思っている。
 通り抜けに「黄桜」と標示のある木が一本あった。見た目が鬱金と区別が付かなかったので、どちらも黄桜と納得して帰った。
 最初は黄色い桜なんてあるのかという疑問から鬱金を知ったが、この桜は珍しいものでなく、大変ポピュラーなものであることがわかった。しかし、調べるという作業をしたせいか、小生にとって鬱金が大変気になる桜となった。
 調べるということは、その人を豊かにする。教える立場の人は、生徒・学生に知らないことはすぐ調べる癖を付けるように指導するといい。
 今年はよく桜を見た。現職の頃は、桜は綺麗ではあるけれど、積極的にわざわざ見に行こうとしたことはあまりなかった。近年は歳を重ねるごとに積極的に見ようという気が強くる。それとともに、日本人は本当に桜が好きな国民ということを実感するようになった。どこでも見られるからである。公園が出来ればまず桜を必ず植える。堤防や街路でもそうである。
 大阪市の街路を除く緑化率は低いが、小さな公園はあちこちにある。その公園には必ずといっていいほど、桜が植えられている。その中に鬱金があるかを探す楽しみが増えた。
 最近は街路樹や公園に、ハナミズキがよく見られるようになってきた。これも木に咲く可憐な花で好きである。ソメイヨシノのように散り際はさっぱりしていないが、その分だけ長く咲いていて、長期間楽しむことができる。
先日講義の教室に行く途中、ハナミズキの花が目に入ってきた。しばらく眺めていた。同じ処を何年も通っていたのに気付かなかった。→ページのトップ

080503 故郷の桜
 小生の故郷、静岡市は桜がわが国で最初に咲く処に属する。市民に、俗称おせんげんさまといって親しまれている静岡浅間神社(神部神社、浅間神社、大歳御祖神社から成る)があり、そこの浅間神社の主祭神は女神様である木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)である。古くから信仰されており、静岡は徳川家康の隠居地であったことでもあり、江戸時代には徳川氏に崇拝されていた。神社の建物は日光東照宮と似ている。
 この神社は賎機山、別名浅間山の南麓にある。この山が桜の木がいっぱいあり、4月初旬に行われる静岡祭りの際には、山中全体が桜に包まれる観がある。それを見て育ったから、余所で少々の桜を見てもそれほど感激しなくなっていた。
 なんといっても、桜そのものを讃えるような神様、木花開耶姫命を祀ってある神社と一体化した全山が桜の山である。晴れていれば富士山が見える。ここにも鬱金があるとのこと、機会があれば見てみたい。
 静岡市は毎年4月の第一土・日曜日を中心に「静岡まつり」が繰り広げられる。今は駿府城のあった駿府公園が会場になっているようであるが、もともとは「おせんげんさま」の「廿日会祭」に呼応して行われたもので、小生は今以て「おせんげんさま」のお祭りと思っている。
 静岡市が一番賑う時で、浅間神社はもちろん、そこに通ずる「浅間通り」や静岡市の繁華街である「呉服町通り」や「七間町通り」は人で溢れる。
 もちろん大勢の人が賎機山に登って桜を愛でる。神社から山に登るには、まず「百段階段」を登らなくてはならない。一直線の106段の石段である。小生は高校では陸上競技部に属していたので、この階段を何度も練習用に利用させてもらった。いい練習の場であった。数年前に登ったが、もう一気に登れなかった。
 高校の校舎が比較的近くにあった。英語の授業の時、先生が「今日は浅間さんにいって階段を登ろう」と言いだして、皆で登りまた校舎に戻ってきたことがあった。今になるといい思い出である。授業というものは、ただ教室で型通りに進めればいいというものではなく、このような気分転換もいいのではないだろうか。
 階段といえば、静岡市駿河区には久能山東照宮に登る1159段(通称千段)の石段がある。景色がいい。日本平の方からロープウエイを使う方法もあるが、時間と体力があればこの階段を使うのをお勧めする。山形県の山寺は芭蕉の「静けさや岩にしみいる蝉の声」を詠んだところであるが、ここの階段は1050段、四国の金毘羅さんの石段は1368段ある。全て自分で登ったが、景色は久能山のものが群を抜く。最多段の階段はスイスにある11,674段であり、中国に最長(9km)の7300段のものが泰山にあるが、これらには行ったことはない。
 故郷の桜を見ずに過ごした年月が長くなったのか、あるいは余命幾ばくもなくなったのか、歳を取るごとに、「嗚呼、今年も見ることができたか」という納得行為のため、桜が咲く頃は桜をその気で見るようになってきた。
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080502 後期高齢者−8 三途の川
 高齢者の占める割合が高くなった。高齢者は医療のお世話になることが若年者より多い。そのため国全体の医療費の中で、高齢者の占める比率が高くなってきた。それを消費税のように税金か保険金で賄うしかない。
 たとえ今まで働いてきたからといって、もう自ら負担しないということでは、国が成り立たない。次世代への負担を考えると、後期高齢者の1割負担でさえそれでよいのかという疑問もある。
 わが国は世界でもっとも長寿の国に入る。その長寿は医療によってもたらされているといっていい。大勢の人が医者に行き、医療を受けて、結果的に世界の中の長寿国になっているのである。病院へ行けばそのことはよくわかる。金を掛けながら長生きしているのである。それにかかる費用が高いとか払いたくないというのがそもそもおかしい。
 資本原理に基づけば、自分の寿命は、自分の支払い能力によって決まる。金持ちが、高度の医療を受け、あるいは名医に掛かることができるなど、日常的に目にすることである。悔しいけれど小生のような貧乏人は、医療をフルに利用して限界まで生き長らえる選択は、しようと思ってもできないのである。
 やはり、いい加減に三途の川を渡るべきかも知れない。そういった意味で、後期高齢者制度は、もうそろそろ覚悟しなさいという制度であろう。それでいい。小生は通院生活を送っているけれど、ガン治療を受けているのは、のたうちまわる痛さを味わったからであり、痛みさえなければガンが進行してもいい。
 もう一つ高血圧のクスリを飲んでいるが、これは倒れた場合は家族に迷惑を掛けるからであれある。両親がそれで亡くなっており、家族の介護の苦労を知っているからである。
 痛みもなく、他人に迷惑を掛けないなら、通院はしたくない。もう両親以上の長さの人生を送っている。命に未練は全然無い。テレビで、韓国において非常口の扉を開けて進んだら、階段がなくて30メートル下に落下した映像を映していた。扉の向こうに苦もなく三途の川を渡れるような施設があれば利用したい。
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080501 後期高齢者医療制度−7 郵便が届かない
 郵便が該当者に届かないということも,今度の切り替え時にわからないことの一つである。引越したのに届けを出さなかったとか家族と離れて住んでいるなどの理由が挙げられている。そんなにわが国の郵便が当てにならないのか不思議である。もう少し先進国であると思っていた。それなら日本郵政株式会社が配る普通の郵便も同程度に届いていないのか。民間配達の場合はどうなのであろうか。
 郵便物がそんなに届かないなら、国勢調査の精度はどれぐらいであろうか。わが国の調査は家庭訪問もあり、相当精度が高いと思っていたが、どうもそれほどでもないようである。
 もっと深刻なのは、選挙人の把握である。今回報道されている程の数の郵便物が届かないとしたら、選挙もいい加減の数を基にして行われていることになる。このようなわが国が、PKOなどにより多くの発展途上国の選挙監視活動に人を送っている。他国の選挙を応援するような資格があるのだろうか。
 単純に年金関係部局の住民把握がいい加減だけなのか。それなら今までは何を根拠で年金作業を行っていたのか。老人は扶養家族になっていたので住所のことをそれほど深刻に考えていなかったのか。
 このカード社会で、保険証カードを知らずにゴミとして捨ててしまったと言う人が多いという。これもよく理解できないが、老人はそれほどカードに慣れていないと見るべきか。
 小生はカードをあまり作りたくない。しかし、銀行、デパート、レンタルCDショップはたまた菓子屋などのカードを10枚ぐらい持っている。
 その他、大学の部屋に入るのもカードである。コピーもカードが要る。複数の病院に通っているがカードが要る。電車もカードで乗っている。カードがなければ生活できないカード社会で、保険証が葉書スタイルからカードに変わったことに文句を言っているのは解せない。
 保険証のあの薄いカードは、確かに他のカードより軽くて頼りないが、資源節約になっていいと思っていた。もう日常的にカード的なものが送られてきたら慎重に扱うのに慣れた時代と思っていた。先に述べた老人の反応が遅くなるのが、カードへの認識にも表れているというべきかも知れない。
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080430 後期高齢者制度−6 不公平はいやだ
 このような老人を対象とした新医療制度を、元気な官僚と政治家が作った。歳を取った政治家もいるが、政治家は、脳のキレはいざ知らず、元気がいい。このような元気な人達は老人の特徴への理解が足りない。だから普通の法律施行のような態度で、新制度実施の日を迎えたのではないか。
 老人相手ということを念頭に置いて、もう少し策があったのではないだろうか。完全な説明は不可能と言っても、少人数あるいは戸別訪問をすることは、年金の全数検査を思えば不可能ではない。
 また、制度が変わって納付金が増えることは避けるべきであったのではないか。地方により福祉政策に差があったのに全国統一の制度にしたため、納付金金額が増えてしまった人達がいる。不公平をなくすのが目的と言っても支出が増えるは嫌なものである。
いずれその不公平は年とともになくなるのだから、支出が増えないように手心を加えればよかったと思う。制度が大改革の初期には仕方がない所作ではないか。ちなみに、小生は数万円/年負担が増えるし、生活保護を免れる程度の年金しか貰えないが、支出増に対して文句はない。
 既に触れたが、年金からの天引きは大賛成である。天引きは強引に引かれると言うイメージがあるが、納める手間が省ける。どうせ納めなければならないなら天引きでいい。文句を言うのは納めたくないからであろう。入学金について大勢の納めることのできる人が納めていないのと同列の問題である。現在の国民健康保険の窓口では、正直者が馬鹿を見ると言うことが囁かれている。
 入学金については、テレビのコメンテーターの多くは、さすがに納めていない生徒を入学式に出席させないという意見の人が多かった。しかし、病気にならない人が保険金を払うのはおかしいと言った阿呆なコメンテーターがいた。テレビ局もこのような人を出演させて、制度の不備を煽るようなことは止めた方がいい。
 天引できないレベルの人に対しては、はじめから徴収そのものを止めればいい。その代わり、収入の審査はしっかりやるべきである。弱いものいじめは止しにすることである。今回はその水準の設定が不明確である。小生だけが知らないのかも知れないが。
 法的制度が変わっても、自分の利害に直接関係しないと、われわれはあまり関心を抱かないものである。道路特定財源の問題も、ガソリン代で直接懐に関係するので、皆の関心が高まる。道路そのもの必要性は、建設によって収入を得られる人以外は一般財源になろうが特定財源として続こうがどうでもいいと思っているようである。
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080428 後期高齢者医療制度−5 加齢と共に
 
誰にもわかる説明は難しいといったが、歳を取ると忘れっぽくなるし、理解する気力が減退し、他人を頼りにしがちになるのは確かである。だから、同じ説明を若年者にするよりも後期高齢者にするには数倍のエネルギーが要る。
 自分も最近はめっきり忘れっぽくなった。先日の講義で「足尾鉱毒事件」が一瞬出てこなかった。足尾には数回行っているし、森高千里や松浦亜弥が歌っている「渡良瀬橋」も数回渡っている。それらの風景が浮かんでも「足尾」の名前が出てこない。焦った。
 教壇に立って何十年間何回と無くしゃべっている言葉である。講義をする前日と直前には内容に目を通す。当然頭に入っている言葉である。それが脳の記憶の棚から難なく引き出すことが出来なかったのである。
 幸いなことに、講義の流れを忘れることはなく話を続けることはまだ出来る。しかし、漢字をわすれて、ひらがなで誤魔化すことがある。「顰蹙」(ヒンシュク)のような若い頃でも書けなかったような字ならとにかく、「癒す」とか元禄の「禄」のような当たり前の字に立ち往生する。
 ワープロソフトばかりを使うと字を忘れがちになることは確かであるが、それに年齢のボケが確実に加わっていることが実感できる。いま置いた物を、置いた直後に別の動作をしたとたん、もう何処に置いたかわからなくなることがよくある。
 このような現象は、講義の内容に直接影響を与えるものではないが(自分はそう思っている)、年齢が知能の質を低下させている証拠であるから、そろそろ教壇に立つべきではないと自覚している。
本を読んでメモを取ろうと思いつつ先を読んでから本を閉じると、もう何処の部分のメモを取ろうとしたのかわからなくなる。これに対してはその場でページをメモすることにしている。
名刺をもらっても名前と顔が一致しない。名前はすぐ忘れる。忘れると言うことは一旦覚えたことであるが、人の名前ははじめから記憶に留まっていないから、忘れたことにならない。名刺には写真があると便利である。とは言っても、顔に自信のない自分は写真を載せていない。
 歳を取ると変化に対応しきれない面がある。別にそんなことをしなくても、今までの生活で生きていけると言う考えが根本のところにあるのではないか。脳の能力は、忘れっぽくなっているが、理解力はそれほど低下しないのではないか。
 例えば、携帯電話を老人は必要がないと思って、老人の所有率は低くかったが、それなりに利用価値があると思う人が増えてきたのか、所有者が増えてきた。パソコンの利用者も少ないが、孫の写真を大きな画面で見たいと言う方は、パソコンをそれなりに利用している。パソコンをやらない老人は、わからないからやらないのではなく、必要がないのでやらないのである。後期高齢者目前の小生も、必要に迫られて。トラブった場合も本も読まずに何とか使える方法を見つける程度には、下手ながらパソコンを使っている。
 郵便が該当者に届かないということも,今度の切り替え時にわからないことの一つである。引越したのに届けを出さなかったとか家族と離れて住んでいるなどの理由が挙げられている。となると、それなら日本郵政株式会社が配る普通の郵便も同程度に届いていないのか。→ページのトップ

080424 後期高齢者医療制度−4 誰にもわかる説明は難しい
 
長寿医療制度の発足に際して問題になった一つに,制度の説明不足がある。小生は,説明が十分とは言わないが,あんなものだろうぐらいに思っている。誰もが分かるような説明なんて所詮無理である。
 わからないから,わからない人に説明するのであるが,聞く方の能力と聞こうとする意欲によって理解度には差が出る。講義でも誰にでも分かってもらうように講義をするが,試験をすれば必ず不合格者が出る。一定期間に全ての人にわからせるというのは無理である。
 説明を必要とする文章は,作成するのが難しい。役人は不親切という先入観から,役所の文章はわかりにくいというのが定説である。しかし,自分ならどのように書くかと考えてみると,役所が示す文章以上にわかりやすくするのは難しい。
たとえば,確定申告をするとき,なんて不親切な文章かと思う。しかし,内容を理解してから,説明文を書き直してみようかと試みても,ここは誤解されたら大変だ,ここは不正確になるといったとことが見つかり,結局は税務署の文章が必要最小限の文章ということがわかる。
 商品の取扱説明書もすぐわかるようなものは少ない。難しい典型はパソコンの説明書である。コンピューターソフトの説明書もそうである。最近は大分わかりやすくなったが,自分が慣れていなかったこともあって、以前はなにが書いてあるかさっぱりわからなかった。アンケート調査でも、何を聞いているのかさっぱりわからないものが案外多い。
 所詮ある事柄を全ての人にわかってもらう説明書は作成が難しい。たとえあっても,全員が見ようとするかどうかが次のハードルになる。初めから見る気が無い人が案外多い。わかりにくい文章を皆に配って,さらにそれが読まれなければ周知徹底することは困難である。
 誰がやっても同じである。全員に十分理解してもらうには、経費と時間が許すなら,十分知っている人が戸別訪問して,粘り強く説明することである。今まで大きな変革がある時,該当者全員が理解できるような説明が行われたことがあっただろうか。
 たとえば新憲法発布である。小生の周りの大人が理解しているとはとても思えなかった。最近では裁判員制度である。制度ができることは知っていても,その内容はほとんど知らないのではないだろうか。小生は詳しい説明文を見たことが無い。テレビで時どき説明があるのを見る程度の知識しかない。
それで不都合が生じないからである。他人もそうだと思っている。その証拠には,裁判員の資格に年齢制限があるのか,地方裁判所,高等裁判書,最高裁判所のどの段階の裁判所に適用されるのかを聞いても,知らない人のほうが圧倒的に多い。
 長寿医療制度切り替えの説明不足が指摘されているが,文章だけでは衆知徹底はできない。それを指摘する人は,自分ならどうするか,どのような説明文を書くのか,読む気力の無い人にどう接するのか示してくれると有り難い。講義の参考になるにから
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080423 後期高齢者医療制度−3 自由と規律
 昨今は,自分の利益だけを考え,他人のことは考えない自己中心の者が溢れるようになった。この国はどうなっているのか。安易に人を殺す事件が多発しているのも,なにか同根の問題と見て取れる。
 権利だけを主張して義務を果たさない。得をすることだけに気を注ぎ,損をすることには敵意を持って逆らう。このような風潮がいつの間にやら,わが国の風潮になってきた。
 小生は大学に入って間もない頃,先輩から池田潔の「自由と規律」(岩波新書;青版)を読むことを奨められた。すぐ買って読んでみた。いい本である。あまり他人に物事を奨めることを好まない小生だが,この本は奨めたい。
まだ岩波新書で増刷りされている息の長い本である。イギリスのパブリックスクールを紹介しながら,イギリスの精神と教育を描いている。あるエリート集団の記述と片付けることも出来るし,今のイギリスがすばらしい国と言えるかという疑問もある。しかし紳士が多いことは確かであり,未だマグナカルタの精神の流れる国である。わが国が見習うべき点の多い国の一つである。
この本には,今われわれ日本人に欠けていて,最も求められていることが書かれている。それは,「もっとも規律にあるところに自由があり,もっとも自由なところに規律がある」ということである。
 ベストセラーになった藤原正彦著「国家の品格」の同列の内容であるが,藤原氏の本は,国家の品格がなくなったことを憂いて,とるべき道を小気味よく論じたものである。池田氏の本は,戦後の混乱から民主国家へと立ち上がるわが国に,自由というものは我がままとは違うことを示したものである。
 両書がよく読まれるということは,国家の品格と秩序に関心を持つ人が多いことを示すものであるが,「悪化は良貨を駆逐する」という言葉もある。無批判にわがままな人達の言動を支持する阿呆な論説者もいるし,少々の苦しみも覚悟の上で国民を望ましい方向に誘導する政治を行ってくれればいいが,お互いの揚げ足取りの政局を展開するような政治が行われている。
これでは,いい世の中になる筈が無い。柔道場で汗を流していたような若者が,早くこの国に影響を与えてくれるように成ることを期待するしかない。当分はますます「自己虫」という虫が増え続けると思われる。
 そんな世の中であるなら,姥捨山に放り込まれて,早くあの世に行った方が幸せではないか。後期高齢者とはいい名前である。→ページのトップ
80421 後期高齢者医療制度−2 天引きでいいではないか 

 
次に疑問に思うことは,保険料を年金から天引きすることへの批判である。年金と保険料とは厳密には性格の違うものである。だから年金から天引きするのは筋違いと言う人もいる。しかし両者は密接に関係あるもので,老後の生活を保証しようとするものである。天引きしてくれれば,納めに行く手間が省けて助かる。
 せっかく時間の浪費が無くなる手続きを,ことさら反対するのは保険料事務の実態を知らないからではないだろうか。最近は,○○モンスターと言われる自己中心主義の人が蔓延っている。保険料納付でも前から問題になっている。納付率が低いので向上させるための方策が時々話題になるほどひどい。
 小生は定期的に通院しなくてはならない身の上であるから,ちゃんと保険料を払っている。大学を退職するときに,病気になってから保険料を払えばよいと忠告を受けた。それはおかしいのではないかと質問したら,ごてれば不能欠損などいくらでも手段があり,真面目にやったら損だと言われた。不能欠損という用語などは保険業務をしていなければわからない。
 とにかく,いつの間にか真面目な者が損をする世の中になってしまったのである。ごてる人を,表面だけの行動から"かわいそう"と支援する馬鹿共が増えたのである。入学式に,入学金を納付しない生徒を式に出さないことが問題になった。これは氷山の一角で,授業料を払わない生徒が増加していることが背景にある。本当に経済的に困っているかのチェックが必要であるが,それはそれで経費と手間がかかる。校長の苦渋の判断に同情する。
 外車に乗っていても給食費を払わない親もいると言う。治療を受けてから治療費を払わない人もいる,必要も無いのに救急車を呼ぶ,学校の先生に私用を言いつけて平気でいるなどなど。この国はどうなっているのか。
衣食足りて礼節を知るというが,飽食の者たちが自己中心の行動を取る。武士は食わねど高楊枝という句があるように,わが国は衣食足りなくても礼節を守る生き方をする人々がいたのであるが,礼節を知らない人の増加が,天引きをせざるを得ない方策に導いたのではないか。小生は支払う手続きが面倒くさいので,天引き大賛成である。
はっきり断っておくが,上記の意見は分布のはずれの例外者を対象にしたものではない。真面目な例外者は,別途の方策で手当てしなくてはならない。例外者をあたかも全部を代表しているかのごとく煽るのはよくない
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080418 後期高齢者医療制度−ネーミング
 
老人医療制度が変わって、その切り替え時期のごたごたが大問題になっている。いろいろ考えさせる点があり、面白い。75歳で線を引き後期高齢者との名前を与えたことが槍玉に挙がり、長寿高齢者に変わった。小生は来年がその年齢であり、また現にガンを抱えている身であるが、悪いネーミングとは思っていない。わが国の平均寿命(0歳児の平均余命)は約80歳である。退職年齢が60〜65歳である。退職以後を老人と見て、平均寿命が正規分布するとしてみれば、75歳が後期老人の境と見て何の不思議はない。
 平均寿命は男女で差があるが80歳と割り切って、80歳以降を後期老齢者としてもいい。後期高齢者という言葉自体が気にくわない人が多いらしいが、名前なんてどうでもいいというのが小生の意見である。なんだったら、好機乞霊者でもいい。実態が変わらないからである。
 しかし、差別しているつもりが無くても差別用語だと騒ぐ時代である。悪い印象を与えるなら変えればよい。なぜ施行日まで問題にならなかったのが不思議である。少なくとも両院の議員、担当行政府の職員はとっくにわかっていた筈である。それがマスメディアの扇動により悪名にされてしまった。
 テレビを観ると、老人が「もう死ねということか」「姥捨山へ行けということか」などと文句を言っているのを、面白そうに放映している。小生は、姥捨山があればそこに捨てて欲しいと願望しているので、逆に後期高齢者という名前がきれい過ぎるように聞こえる。礼を失した言葉には聞こえない。人生、やるだけやったのちは道を後進に譲って、老兵はただ消え去ればいい。
 過剰な福祉は社会をダメにする。今回の騒動でも、高度成長をもたらした人々の老後に負担を掛けてはならないと言う意見もある。これには疑問符が付く。生き生きと働けたことに感謝すべきであって、後の世代に恩着せがましく言うことではない。また、高度成長の結果が環境汚染と心の荒廃というツケを残した側面も考える必要がある。
 1970年代は、高度成長による所得の増大と福祉に目が向くようになり、当時の社会党を中心とした革新系といわれるグループの支持を得た首長が選ばれるところが多くなった。彼等は福祉予算にばらまきを行った。その代表が東京都の美濃部亮吉知事である。老人医療の無料化を行った。その結果、東京都を前途未聞な財政難に転落させた。それ以降の知事は財政回復が主要任務となった。その苦労が実って今やわが国有数の勝ち組地域とはなってきたが。
 医療を安く提供する保険制度には、それを支える費用が必要である。高齢者の比率が高くなればなるほど、高齢者自身が負担を覚悟しないと、現役年代者に高い負担を掛けることになる。税金を払うことに反対し、医療代を払うことに反対することを煽るような報道ばかりであるが、冷静に考えれば、無からは何も生まれないのは誰でもわかるはずである。
 マスメディアの多くの批判は、米国型自己掛金型の、小生に言わせればおよそ歪で格差拡大の、年金スタイルを暗に肯定しているみたいである。→ページのトップ

080417 宇治散策-2

 宇治へ出掛けた主目的は、環境技術学会の編集委員会に出席することである。同委員会が、委員の網本氏のご厚意で宇治にあるユニチカ中央研究所で行われた。施設見学に関しては学会誌に別の方が書かれるのを期待して、ここでは触れない。会社敷地の横を1メートルにも満たない小川のような石を埋め込んだ水路があるのが目に付いた。水は宇治川から引いているとのことである。
 宇治川の水は琵琶湖から流れてくる。JRで京都から大阪に向かう時には、山崎辺りだけで山の存在を感じるが、水の方は瀬田辺りから宇治まで山を縫うような流れになる。宇治を過ぎて3川合流地点以降は平野部を流れるので、景色的には宇治までが、流れも勇ましくていい。
 琵琶湖南湖でカビ臭が出て京都市や大津市の水道局が緊急事態になる時、宇治辺りでは匂いを感じなくなることが多い。流れで水が揉まれて曝気され、臭気成分が気散してしまうようである。
 編集委員会終了後、中書島にある「黄桜」のカッパカントリーで会食を取ることになった。その途中、委員の藤川陽子先生(京大)が、黄色い桜は見たこともないのになぜ「黄桜」という疑問を発した。小生もわからず、料理のときに刺身の入った器の中に一緒に入っていた菊を見て、菊をもじって黄桜と要ったのかと思ったりした。
 つぎに、山吹の花を思い出した。山吹の花は黄色い桜を思い出させる。山吹といえば「七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだに無きぞ哀しき」という歌がある。太田道灌で知られた歌だが彼の作ではなく、兼明親王の作で後捨遺和歌集にある。太田道灌が埼玉県越生町辺りで雨に遭い、農家に入り簑を借りようとしたら、その家の娘が山吹の枝一輪を差し出した。道灌は意味がわからず憮然として帰った。後で後捨遺和歌集にある歌で、簑がないことを「実の」にかけた所作と知り恥じた。それから歌道に励んだという。
 太田道灌はいい殿様であったようである。また、この和歌の地が例のクリプトスポリジウム感染症の大事件の起きた場所であるので、小生はこの歌への思い入れは深い。越生町は今でも山吹の里である。梅の名所でもある。
 中書島に昔は遊郭があった。京都市中から離れた処に在るのがちょっと奇異に感じられた。舟で来たことも考えられるが、帰りが大変である。五条など市中にもあったが、他都市の遊郭と較べて遠い。京都の人は、裕福で人力車か駕籠で行ったのか、あるいは時間を気にしないほどおっとりしていて、遊びに行く長い時間も楽しんでいたのだろうか。 
 家に帰って調べたら、黄色の桜である「黄桜」は存在することを知った。鬱金(ウコン)桜という八重桜である。同じような八重桜に御衣黄(ギョイコウ)というやや緑かかったものがある。創業者が愛好したことから会社名・ブランド名としたとのことである。カッパカントリーにも黄桜があるが、時期的にまだ早いとのことである。八重桜だから少し遅いのだろう。どの木が黄桜だったのかを確認することを忘れたが,もし同所に再度行く機会があったならば、黄色の花をじっくり見てみたい。
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080416 宇治散策-1
 
4月4日宇治を散策した。ちょうど桜満開の時であったので、たっぷりと桜三昧に浸ることが出来た。京阪電車の宇治駅を下りて、まず宇治川に架かる宇治橋より川を眺めた。両河畔が桜堤になっており、川が山並みの真ん中から下るような構図になっている。川の水量は多く、流れも速いので、水量が少ないか、ゆったり流れる川に見慣れているせいか、なかなかの迫力である。
 宇治橋の上流に天ヶ瀬ダムがある。そこには2回ほど訪れたことがある。一般にはあまり知られていないが、天ヶ瀬ダムの上に関西電力の揚水ダム「喜撰山」ダムがある。揚水ダムとは、夜間の電力需要の少ない時間帯に、使われない電気を用いて下のダム(ここでは天ヶ瀬ダム)から水を上のダムに揚水し、昼の電気需要のために昼は下に水を落として発電するためのダムである。
 なかなか雰囲気のいいダムであるが、関電の敷地にあるので訪れるには許可が要る。喜撰山は山の名前から取ったものであるが、同じくその山の名に因んだ人に喜撰法師がいる。百人一首にある「我が庵は都のたつみ鹿ぞ住む 世をうじ山と人はいうなり」の作者である。この歌のうじ山は、「俗世を"憂"として入った山」と「宇治山」の掛詞である。
 喜撰山ダムはロックフィルダムである。不透水性の粘土で遮水壁を設け、それを石で積み重ねたもので支える型のもので、大きなものとして岐阜県北西部、庄川上流の御母衣ダムがある。喜撰山ダムの上に行くのにエレベータに乗るが、横浜のランドタワーマークビルが出来るまでは、日本一高いエレベータであった。
 宇治の街を歩くのは初めてだ。まず宇治神社に向かった。家族より、宇治に行ったら宇治神社にお詣りしてこいと言われたので来てみたのだが、すぐ近くに宇治上神社があった。2つあるとは知らなかった。どちらへ詣でることを頼まれたかわからなかった、頼んだ家族もそのようなことは知らないと思ったから、両方でお祈りをした。
 両社は明治維新前までは一体と見られていて、近くに平等院ができると、その鎮守社とされた。宇治神社が下社・若宮と呼ばれていたとのこと。莵道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)という王子が祭神で、わが国文教の祖として、学業・受験合格祈願のお詣りに来る人が多いという。
 宇治上神社は、上社・本宮と言われていた。本殿と拝殿は国宝で、本殿はわが国最古の神社建築である。主祭神は応神天皇、莵道稚郎子命、仁徳天皇である。ここは世界文化遺産に登録されている。境内に宇治七名水の一つ「桐原水」が湧き出でている。
 両者とも規模は小さいが、裏山の木立を背景にして、なかなか趣のある神社である。両者を結ぶ道はさわらびの道といわれ、穏やかな日差しを浴びながら、ところどころ桜の花に目をやりながら、源氏物語ミュージアムのしゃれた建物の横を通りすぎて、宇治橋に戻った。
 さらに平等院に向かった。既に参拝したことがあるので、入場料の600円をケチり、川堤に出て、桜と景色に見とれながらしばし佇んでいた。道路暫定税率とか物価値上げとかの世の中の煩さが嘘みたいに、皆が満開の桜を楽しんでいた。今のわが国は、文句を言いながらも平和である。昨日腰の痛みを感じたので、朝出掛ける時に、また歩けなくなるのではないかと恐怖感に駆られたが、景色に吹き飛んだのかあるいは神様にお祈りした効果が早くも表れたのか、痛みを感じることはなかった。
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 080415 桜−思いつくまま    
 
桜が好きなわが国では、昔から詩歌に詠われている。桜が広まったのは奈良時代の裁植からであり、信仰や占いのために植えられることが多かったという。そのためか、平安時代前は「花」といえば「梅」であり、平安時代からの和歌などで単に「花」とあれば、多くの場合「桜」である。「さくら」の言葉は動詞の「咲く(さく)」に接尾語「ら」が付いて名詞になったとの説が有力である。
 今までいろいろな処で桜を見たが、一番印象的であったのは、栃木県の栗山村(現在は合併によって日光市の一部)の山中で、緑の木々の中に1本だけ咲いていた山桜である。けなげに咲いていた可憐さが今でも目に浮かぶ。現在は、葉が出るより早く咲き始め咲いた姿が華やであることから、ソメイヨシノが圧倒的に多い。これは歴史的に案外新しく、江戸時代末期にコマツオトメとオオシマザクラの交配から生まれたもので、それが行われた江戸の染井村からその名前が付けられた。
 小生ぐらいの年齢の人にとっては、桜が軍歌に唱われた歌詞と結び付いてしまうのは、子供の頃に唱わされ聞かされたので、仕方ない。
 例えば、
  万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男の子と生まれなば 
    散兵線の花と散れ  (「歩兵の本領」)
  若い血潮の予科練の 七つ釦は桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にや 
    でかい希望の雲が湧く(「若鷲の歌」(  予科練の歌))
  貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く 咲いた花なら
    散るのは覚悟 見事散りましょ国のため  (「同期の桜」)
軍歌であるから「死」を美化して、戦死することを怖がらないように洗脳する歌が多かった。当時の小学校であった国民小学校の帽子や服の釦の徽章は桜だった。
 戦争と関係ない歌にも桜が多い。百人一首にも桜が多く歌われている。俳句や和歌で思い付くものの一部を書くと、
  花の雲 鐘は上野か 浅草か     芭蕉
  木(こ)のもとに しるも膾(なます)もさくら哉    芭蕉
  さまざまの こと思い出す 桜かな     芭蕉
  扇にて 酒くむかげや ちる桜    芭蕉
  奈良七重 七道伽藍 八重桜     芭蕉 
  散る桜 残る桜も 散る桜    良寛
  ただたのめ はなははらはら あのとおり    一茶
  明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは  親鸞
  願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月の頃  西行法師
  世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 在原業平
  いにしえの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな 伊勢大輔
  敷島の大和心をひと問わば 朝日に匂う山桜かな     本居宣長
  花は桜木 人は武士 柱は桧 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの 
                  「仮名手本忠臣蔵より」
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080414 桜の風景ー天満橋から桜ノ宮へ
 
4月になっても寒い日が続いたけれど、桜は多少のズレはあっても、いつもと同じ時期に咲き始めた。テレビで隅田川の桜を報じていたのを観ていたら、小生の住んでいるところの近くの大川堤の桜を思い出し、早速4月2日に訪れてみた。隅田川に劣らずきれいであった。
 いつもは天満橋から中之島公園方面に向かう。ここの桜の木は大きいのだが対岸に桜がない。今回は天満橋から桜の宮方面に向かい、OAP(Osaka Amusement Park)を終点とするコースを散策した。ちょうど有名な造幣局の桜の通り抜けと並行している。対岸にも桜並木があり、隅田川に似ている。朝早く人もまばらで、気持ちよく桜のトンネルを味わうことができた。
 こんなにいい桜の名所が家の近くにあることをこれまで気がつかなかったのではなくて、初めて桜の風景に興味を持ったといったほうがいい。このコースを歩いたのが初めてではないからである。近くの大阪城公園の桜も毎年見ている。今回辿った桜のコースは、都会で水とマッチした桜の光景としては、東京の千鳥が淵や隅田川の桜に匹敵する。OAPのすぐ北側に源八橋があり、さらに遡れば大阪水道の出発点でもある毛馬の閘門がある。
 毛馬閘門の向こうは淀川であるが、昔はこの大川が淀川であった。この閘門から大川沿いには毛馬桜之宮公園など桜が咲く公園が繋がっていて、小生が見て特にきれいなのは源八橋あるいはOAP辺りから天満橋の間である。
 OAPに「セーヌの畔」というパンを売っている店がある。喫茶コーナーもあり、このコースを散歩する時はいつも立ち寄る。明るい店で対岸が見えるので気持ちいい。たまたま食べたメロンパンが、パリパリ・サクサクしていて美味しかったので、いつも買う。
 日本人はどうして桜が好きなのか。ワシントンの桜にも大勢の人が訪れているというから、日本人だけが特に桜が好きというわけではないかもしれないが、その昔、スペインからの女性留学生から、「なぜ日本人は桜、桜というのか。花はほかにもいっぱいある」と言われたことがある。確かに、おもに南半球に咲くジャガランダの花は、春(南半球の)に一斉に咲く。木に沢山の紫色の美しい花を付ける。日本人は南半球の桜と呼ぶ人が多い。
 日本人が桜を好きなのは、その散り際があっさりしていることにあったのではないだろうか。敢えて過去形で言わせてもらう。盛りの時点から散るまでの時間の短さ、一斉に散る儚さにものの哀れを感じ、さらにわが国の自然観の基となったのではないだろうか。切腹があるように、命をあっさり捨て去るのがわが国の文化としてあったのではないか。人命軽視ではなく、役目を終えた場合にサッと身を退く。あるいは身を投げ出してまで責任を取るのを清しとする考えである。
 それら散り際に感じ入る感情を端的に表したのが、古くは、紀友則の歌、
    久方の光のどけき春の日に しずこころなく花の散るらん
新しくは、真珠湾攻撃で戦死した海軍士官の辞世の歌、
    君がため何か惜しまん若桜 散って甲斐ある命なりせば

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080411 
人事異動の頃―2
 世論形成に関係ないテレビの娯楽番組で、いつまでも同じ人が司会役を務めている番組が多い。他に人がいないわけでもないのに、連続出演の記録を作るのが目標かのごとく出続ける。入歯を入れたようなくちゃくちゃしたしゃべりで出演している古参のインタビュアーK女子、お笑いだかなんだか無駄口だけ叩いて、出演者だけが笑っている内容のS司会者、やはり出演者だけが喜んでいる「笑って・・・」という番組のT氏などなど、完全にマンネリ化し、顔もとっくに見飽きたのに。そういう番組は観ないことにしている。人事異動の力学が働いて欲しい。
 人はある回数出演すると、観客を無視して出演することが目的化するようである。それをマスメディアが煽るから本人もその気になる。老人がでんぐり返りをやっても、痛々しいだけで、演技なんて言うものではない。野球の場合は、連続出場することの良否は記録で評価できる。連続出場や記録更新が、実際の能力を上回って目的化してくると、能力の落ちる選手を使うのと同じことになるから、チームの成績は落ちる。超有名選手が引退する頃は、その選手を引っ込めにくくて、そのチームは低迷するのが一般的である。
 テレビ番組出演者に関しては、テレビ画面から視聴者への一方通行であるから、与える側のテレビの方が目先を変えてくれないと視聴者は飽きてくる。いつも同じ司会者やゲストでくだらない番組ばかりになってしまう。視聴者が取ることのできる手段はチャンネルを変えることだけである。しかしそのチャンネルが少ないので、テレビのスイッチを切って本でも読むのが一番いい。本はこちらで選べるからである。
 わが国もケーブルテレビのネットワーク化が進み、コンテンツが多様化し、いろいろのジャンルのものが安く観ることが出来るといい。ニュースばかり観ることができるといいが。ニュース的なものは淡々と事実だけを報じて、難しい内容のものでは意見を抜きに解説してくれればよい。意見は視聴者から、放って置いても湧いてくるものである。
 しゃべる方が固定して聞く方が替わるのに大学の講義などがある。「10年同じ講義をしている」と非難する場合があるが、聞く方は初めて聞くのであり、講義内容に誤りがなければ、同じ講義をしても差し支えないのではないか。もちろん、常に理解度向上への努力は必要で、内容の取捨選択は必要である。ただ、もし最高の講義内容があれば、それが最高だから何年続けてもいい筈である。
 大学の教授の人事異動は他の組織と違って幅が狭く(同じ内容の講座)、上下の長さが短い(準教授→教授)。しかもお客(学生)から見る評価はない。本人が同じ組織で評価を受けるか、他の組織の評価を受けて移動するかの2つのやり方がある。小生は他組織に職を求めることによって地位と給与を上げる方法を採って、5つの職場に籍を置いた。それに応じて棲む場所も5カ所変わった。
 そのため、いろいろな土地で住むことになり、それぞれの思い出を得ることが出来た。しかし、職場を変わることの損得を結論的に言うと、わが国はあまり変わらないい方がいい。実力評価主義になってきたといっても、わが国では変わるといろいろの面で損をする。古い体質が残っていることを典型的に表しているのが、勤続XX年表彰である。このように勤続年数がいろいろの面(年金、退職金、功労表彰など)で効いてくる。→ページのトップ

080409 人事異動の頃―1
 
4月1日に新入スタッフが会社や役所に入る。中途採用が一般化してきたが、4月が入社圧倒的に多い。それに釣られた形で人事異動が花盛りになる。新聞の地方版や業界新聞は異動の記事でいっぱいになる。3月末のNHKでは,番組ごとに担当アナウンサーの交代を告げていた。そこで、人事異動とは何かを考えてみた。
 退職者の補充で新入社員が入るのが人事の原型かもしれない。これは、組織を維持するための当然な動きである。しかし、見通しが悪くて、ちょっと景気が悪くてリストラして、景気が回復しそうならあわてて新規採用する会社もある。このような人事管理の悪い会社は、人を部品と見ているようで好きになれない。
 退職者の埋め合わせによる玉突き型人事のほかに、定期的異動がある。一般組織では、職員自身の気分一新・幅広い知識と視野の習得に有効で、組織側から見れば、職員の気分刷新による組織自体の活性化があり、場合によっては外部との癒着の防止に役立つ。
 テレビのようなマスメディアの場合は視聴者へのサービス、目先を変える効果を狙っている。上記のNHK番組の人事異動はその種のものだが、NHKほどの規模が大きい組織ではそれができるが、一方、視聴者から見れば、いい加減に変わってくれたほうがいいと思っていても、民放では規模が小さいので、いつまでも同じ顔ぶれのところが多い。
 テレビの番組の出演者が変わってほしい理由には、視聴者からの側面がある。いつも同じ顔ぶれより、替わってくれるとそれなりの新鮮みが出てくる。飽きてくるのである。観るサイドからのマンネリ化防止である。
 しかし、いつまで経っても同じ司会者、コメンテーターの番組が多い。世論形成にマスメディアの影響力が非常に強くなった。同じコメンテーターや評論家が、自分の意見だけが正しいとばかりに、得々としゃべる番組が多い。それによって世論が影響を受ければ、世論が偏ったものになる。
 テレビ番組に出て意見を言う役目の出演者は、固定するのではなく、多くの複数の人が代わる代わるその役目を務めた方がよい。日曜番組のT氏、TBSのT氏など世論を歪にする元凶である。彼等の個性と意見は数回観ればわかるので、その後は聞く前から何を言おうとしているのかわかる。それなのになぜ放送局側が有り難がって出演させるのかわからない。日曜日の朝番組のT氏も画面から老人臭が漂うようで、いい加減に退けばいいと思っていたら、3月一杯で退いた。いいことである。
 わが国には1億人以上の人が住んでいる。代わりの人はいる。テレビ写りのよい人もいる筈である。いなければ育てればいい。本人達もいい加減に後進に道を譲るべきである。組織における定年退職と同じように。
 普通の組織では、年数を重ねるほど仕事に精通して来て、組織にとって戦力になる。育った者がある年齢に達すると、成長が望めなく戦力としての価値が減少する。後進の新しい力と入れ替わった方が組織としてのメリットが大きいと判断されるから、定年退職がある。
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080404 柔道場へ−2
 
女学生3人が練習をしていた。小生が学生の頃、さる母親が「娘(学生ではない)が柔道をやりたいと言っているが、やるなら名大でやらせたいからお願いします」と頼みに来た時があった。未だ女子柔道が一般化していない時代である。さて誰が指導するのか、立ち技はいいが寝技はどうするなどで喧喧諤諤となり、結局お断することになった。目の前の女子の練習を見たら、そんなことは杞憂であることがわかり、何十年前に断ったのを済まないと思った。
 小生の現役の時は、道場は全く別のところにあった。道場のあるところと授業を受ける場所が相当離れているから、練習に通うのにかなりの時間と労力を無駄にする。交通手段も昔の市電、いわゆるチンチン電車であるから時間が掛かる。練習が終わっても時間を掛けて帰らなくてはならない。そのため、実験がある学年になったら練習量が極端に減った。現在は、医学部以外は同じキャンパスにあり、帰宅にも交通が発達していて便利である。時代の流れを感じた。
 柔道場の横に相撲部の土俵があった。小生の時代にはなかった。子供の頃は相撲取りになりたかった。もともと相撲には自信があったからである。小学生の頃、市民大会ではいつも勝っていたし、先生にも負けたことがなかった。高校生の頃、体育の先生が小生に負けて相当悔しがっていたのを覚えている。高校2年の時、ホームルーム対抗でスポーツを争う企画があった。相撲を選んで、自分の出番は全勝した。
 そのようなわけで、大学に入ったら相撲部に入部したかった。しかし相撲部がないので柔道も取り組むことができると思って柔道部に入ったのである。いわゆる「腰が強い」のである。入部早々、まだ受け身もそこそこに乱取りをやらされたが、全然転ぶことはなかった。そのためすぐレギュラーに選ばれた。
 名古屋大学の相撲部から大相撲に入った者がいる。相撲界最高の偏差値取得者との記事もあった。千賀ノ浦部屋の「枡名大」である。序二段で、大阪場所は4勝3敗であった。東大からプロ野球選手になるものもいる。相撲取りになってもおかしくない。テレビに放映されるぐらいの番付に上がってきてくれると、相撲のテレビを観る楽しみが一段と増すのだが。
 現在は、胸が躍るのは、土俵を見るよりも四角な道場である。緑の畳を敷き詰めた四角の面、畳の表面の波模様、藺の匂いがするような雰囲気に接すると緊張感が走るとともに、柔道をしていた頃の思い出が走馬燈のように駆けめぐる。やはり柔道をやっていて良かった。目の前で女子学生がかさぶたをはがし、畳に血が流れた。歌詞「青き畳を血に染めて・・」を思い出した。後輩と歌を唄う機会はありそうもないが、若手諸君の蛮声が聞こえてきそうだ。
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080403 柔道場へ−1

 
母校キャンパスに来たからには、どうしても見てみたい。柔道場に顔を出した。あらかじめ連絡してあった柔道部部長瓜谷章氏(工学部教授)、小川明夫監督(前述、医師)の出迎えを受けて、2時間ほど練習の様子を見学した。若さ溢れる練習風景を何十年ぶりに見せてもらった。寝技が主体だから取っ組み合いである。時間を区切りながら相手を変えて、2時間ほど押さえ込みの攻防を繰り返していた。
 小生自身は、今は治療薬のため格闘技が出来るほどの力はでない。俺ならこうするといった思いがこみ上げてきたのは、われながら驚いたが、だからと言って意見を後輩に述べるほどの自信はない。このコラムのどこかで述べたが、最近も、公園の鉄棒で逆上がりが出来ない小学生の前で、格好を付けて手本を示すつもりが全くできず、見ていた児童が「おじさん、無理しなくていいよ」と言われた。その経験がトラウマとなっている。小生は立ち技が得意であったので、技を掛けるタイミングなどをイメージしながら、無言で見学していた。
 練習を見終わって感じたことは、コラム「日本の、これから」で述べたごとく、わが国の未来は心配ないということである。学力の平均的レベルは下がっても、国を支えてくれる人は必ず育つ。目の前で練習しているような若者が、これからのわが国を支えてくれると確信する。それはなぜか。
 休日にもかかわらず、道場に来て練習する。格闘技の取っ組み合いの練習は、経験のない人にはわからないが、どのスポーツでも相当ハードである。小生は柔道のほか、相撲とレスリングの練習をしたことがある。柔道の場合は、組んだ練習を乱取りと言う。自分が現役の頃はすぐ息切れがして、それほどの練習はしなかった。立ち技を得意としたのは、寝技の練習が辛かったからである。眼の前の学生がまじめに且つ長く乱取りをしているのに感心した。
 次に挙げたいのは、礼に始まって礼に終わる規律である。現在のわが国では挨拶ができない人が多い。礼儀を重んじる社会を取り戻すには、まず挨拶を交す世の中にすることである。運動部は縦型社会で古い秩序が支配していると指摘する人もいるが、礼儀を重んじることが古いと考えるのはとんだ勘違いである。よくある「しごき」が運動部に対する偏見を植え付けている。柔道はわが国古来の武術が近代化したもので、礼から始まって礼で終わるスポーツである。
 この道場でも、道場出入りのとき、練習開始・終了時、乱取りの組はじめと離れるときなどの礼と挨拶、終わってからの道場の掃除など皆が行っていた。肉親まで殺める犯罪が多発しているような今、礼を尊び人に敬意を表する心が、学力の向上より必要である。眼の前で、学力もある学生の流す汗と若い息吹に未来が托せると感じた。がんばれ柔道部員、頼むぞ未来を・・・と叫びたい。
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080401 久し振りの名古屋−2

 いつの間にやら名古屋の地下鉄網が整備されていて吃驚した。水道局に就職した頃は、東山線だけが開通していたが、車両に網棚がなく、野暮な電車だと思った。今は立派である。今回利用した八事日赤や名古屋大学の駅はそのまま構内に直結しているので便利である。ただ、古い路線の駅では便所の利用が不便であった。
 八事日赤の近くの「浜木綿」という中華料理の店で、水道局時代の上司と昼食を摂った。中心部から外れた処にあるが、すごい混みようであった。この時も平均年齢が若いと思った。2月に神戸・御影の蘇州園で食事をした。中心街から離れている距離や駐車施設及び店の格も同じようなものと見たが、そこと較べて若者、子供が多く、年金生活者の比率が低くかった。自分が老人、これからは後期高齢者、に属するので、くだらない年齢構成が気になるこの頃である。
 名古屋大学のキャンパスは、小生の在学中は東の外れであった。松などの雑木林のある丘陵地帯で、食虫植物のモウセンゴケも見られる湿地もあった。ある時、ヌード写真を撮っている現場に出くわしたこともある。それほど閑静で、動植物の豊富な場所であった。いまは小綺麗な住宅も多く見られ、大阪の豊中市的雰囲気に変貌している。
 地下鉄本山駅から大学までの坂道は、何の変哲もない坂道であったが、今はオシャレな店が建ち並ぶところ、神戸でいえば北野坂みたいな道になった。小生の学生時代の"名古屋は野暮"という印象から脱皮し、ハイセンスの香りの通りに変貌してきた。立命館大学草津キャンパスに続く坂「かがやき通り」もいずれそうなるであろうとの予感がする。兄家族と夕食をともにした店に行く途中の主税町や白壁町辺りも、目下整備中とのことであるが、趣のある街に変貌しつつあった。
 兄夫妻、兄の娘夫妻(共に勤務医)と夕食を摂ったが、法事以外に兄と一緒に食事したのは生まれて初めてであった。姉とは外国まで一緒に行ったが、男兄弟は、仕事中心に生活しているせいか、ゆっくり時間を取る余裕がなかった。一般に、現役中は仕事と関係ない人々とは食事を摂る方向に気が向かないのだろう。忙しければ忙しいほどそうなるので、忙しい人は同窓会にもあまり出席しない傾向がある。
 同窓会出席については、若い時は頭のどこかに、忙しいのに時間を潰すにはそれなりの得がなければならないと考えるのではないのだろうか。その得とは、旧交を温める心のゆとりではなく、何か役に立つ情報や繋がりが得られるかという打算である。しかし、功利的行動が必要でなくなると、純粋に旧交を温めるという気持ちだけで出席できる。しかし、学会に出席する時、旧交を温めるのが主目的になったら、引退した方がよい。どうも小生はそのステージに達したようである。
 経験のなかった兄家族と会食する機会は姪の主人の小川明夫氏が作ってくれた。彼が名古屋大学柔道部の監督をしていることも知らずに、柔道部の部長で工学部教授の瓜谷氏に道場を見学したいと申し込んだ。そこで小生の道場訪問を知った小川氏が、会食の機会を作ってくれた。有り難かった。さて、二度とこのような機会があるだろうか。→ページのトップ

も く じ
080513 海津大崎の桜
080510 桜ソング
080509 夙川の桜、滋賀県の桜
080507 鬱金桜
080503  故郷の桜
080502
 後期高齢者医療制度-三途の川
080501 後期高齢者医療制度-郵便が届かない
080430 後期高齢者制度-不公平はいやだ
080428 後期高齢者医療制度ー加齢とともに
080424 後期高齢者医療制度-誰にも分かる説明は難しい
080423 後期高齢者医療制度-自由と規律
080421 後期高齢者医療制度-天引きでもいいではないか
080418
 後期高齢者医療制度-ネーミング
080417 宇治散策-2
080416
 宇治散策-1
080415 桜-思いつくまま
080414 桜の風景-天満橋から
080411 人事異動の頃-2
080409 人事異動の頃-1
080404 柔道場へ-2
080403 柔道場へ-1
080401 久しぶりの名古屋-2