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071112 日本シリーズで勝つこと
今年の日本シリーズで小生の印象に残る出来事が三つある。一つは、今までもわかっていたがあまり中日ドラゴンズの試合を見ないので再認識したことであるが、中日の二塁手、遊撃手は本当に上手いことである。
 彼等の守備を見に行くだけでも足を運ぶ価値があるほどである。もしかしたら、歴代で一番守備の上手い二遊間ではないだろうか。優勝が決まった時のセカンドゴロの捌きもいとも簡単にやっているように見えて、普通の選手であったら安打になったかも知れない。
 第二は、日ハムは、ピッチャーのローテーションをきっちり守ったようであるが、短期決戦ではエースを多用してもいいのではないかと言うことである。全盛期の西鉄ライオンズは稲尾投手が日本シリーズに毎試合というほど投げていて、よい結果を得ていた。そのため稲尾は「神様、仏様、稲尾様」といわれるほどチームのバックボーンになり日本一制覇に貢献し、西鉄黄金時代を築いた第一の功労者である。しかしその無理のため選手生命は短かった。
 今は無理をせずに長く選手寿命を保たせることを優先するようになってきた。個人優先である。会社・役所などの組織よりも個人の生活を優先するというのと軌を一にする。高校野球では学校の名誉のためという大義があるため、特定個人を酷使して投球させる傾向は残っている。しかし、昔と違って投手を多く抱えて特定個人に過剰な負担が掛からないように変わってきている。ダルビッシュを一試合置きに出す手もあったのではないか。杉下、稲尾の時代はそうであった。杉下は3勝してシリーズMVPを得ている。しかし今はそのような時代ではないのかも知れない。高校野球から察すれば、酷使に耐えられる選手がいないわけでもないと考えれるからである。
 第三は、マスコミでも騒がれたが、パーフェクトピッチングしていた投手を引っ込めた事である。小生は監督に賛成である。もともと小生は落合の野球センスを買っている。彼がまだ三冠王を取ってない時代から彼はすごい選手と思って応援していた。彼の独特の雰囲気に反発を感じる人は多く、彼が中日の監督になった時に中日応援を止めた人を数人知っている。小生は彼の奥さんがしたり顔をしてテレビに出るのは大嫌いだが、彼の俺流采配は好きである。落合監督は名古屋人ではないが、名古屋には尾張藩7代藩主である徳川宗春のような変わり者を輩出する風土がある。
 宗春は吉宗の享保の改革に逆らって商業主義を唱え、結局は引退させられたが名古屋を日本三大都市に導いた素地を作った人物である。例のピッチャー交替は勝つために採った方法である。山井投手はシリーズでの実績が乏しく、たまたまパーフェクトになっただけではないだろうか。それまで結構安打性の打球はあった。手に豆が出来たというのは、騒ぎが大きくならないための彼の口実であっても、本人は交替させられて本当にホッとしたのではないのだろうか。彼の顔がそれを物語っていた。
 勝つためなら何をしてもいいのか、それでは亀田と同じではないかといったスポーツライターがいたが、まったく見当違いの見解である。不正や他人を傷つけるマナー違反をしたわけではない。他人があまり使わない(あるいは使えない)試合のルールを使っただけである。例えば駅伝で卒業を控えた優秀な選手が風邪を引いても、彼の人生に華を持たせるためにそのまま出場させるか、チーム優勝のために健康に支障のない実績のある選手を使うか。勝つためには後者を選ぶのではないか。小生も柔道の団体戦によく出たが、団体戦には選手起用に迷うことはよくある。しかし決定するのは勝つかどうかの確率計算である
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071109 人物評価は難しい
 小沢一郎の場合は言葉そのものはいいが表情がブスッとしているので印象が悪い。政治家にはハッタリも必要だからこわもても武器になるかもしれないが、女性の浮動票集めには不利である。
 彼の言っている内容は結構長期的にものを見ている。党を結成したり壊したりするのは、本人は気が付いていないかもしれないが、一種の趣味みたいものである。今回の大連立騒ぎもまた悪い趣味が出たと見ればそんなに周りが気を病むことはない。
 日本人は組織にモノ申すときに懐に辞表を隠して向かうことがある。それは日本人の悪い癖であるとさる先輩教授に言われたことがある。なぜ辞めることなく行動が取れないのか。辞めようとするのは努力を放棄するための逃げを用意していることだと言われた。しかし今回は、もし辞めると言わなかったら彼への非難は高まっただろう。それから辞めると言ったら負けたことになり、自尊心が傷ついたであろう。先手を打って辞表を出したのであろう。
 会談の相手の福田首相はとぼけた表情と発言がモノを言って、あまり取り上げられていない。その結果今のところ自民党が得をしたといったところか。個人の個性が結果に大きく影響する例である。能力だけで人を評価できないのである。個性も能力の中といえばそれまでだが、努力と関係なく生まれながらに授かったものを評価の対象とするのは、もし人間を作った神というものがあれば、その神への冒涜である。
 今はいろいろな組織で部下を評価するのが一般的になってきたが、特定な人の一方的な判断だけで評価するのはよくない。入試で面接試験に立ち会ったことは何度もあるが、面接時の評価が卒業時の評価に結びつかないことはいくらでもあった。大学で就職担当を結構長くやった。その経験からいえば、会社の人事担当部局の人は「自分は人の評価に自信がある」という人が結構いるが、その評価は全く当てにならない。この不確かさから亀田を見れば、彼等もいい人たちかもしれないが、あの言葉と礼儀が治らない限り評価は変わらない。
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071108 小沢一郎と亀田
 
自民・民主両党の連立構想が突発的に持ち上がり、小沢一郎が民主党に辞任届を出したという騒ぎが持ち上がった。国会の衆参両院のねじれ現象で法案が通らなくなった。それをなんとかしたいという行動の現われであろう。小沢一郎は面白い男だ。作っては壊すという一見無駄と思える行動を何度も繰り返しているが、そうしながらも自分の意見を衆知のものとしてカリスマ性が一向に衰えない。彼に付いていく人がいると言うことは、何処か人を惹きつけるところがあるのであろう。あの顔としゃべり方は女性に好かれるものではなく、亀田一家といい勝負。しかし朴訥な口調は駆け出しの若造とは違う雰囲気を醸し出す。
 二大政党の重要性を唱えながら連立を組むというのは全く理に適わない。しかし捩じれたままでは政治的空白がいつまでも続く。国益を考え国民のためを考えれば、この行き詰まり状態を打破しなくてはならない。そこでトップ会談が行われたのであろう。小沢が言う「今の民主党では衆議院選に勝てない」というのは当たっていると思う。他の民主党員が勝つようなことを言っているが、やはり彼は本当のところを見抜いているようだ。先の参議院選で勝てたのは、相手が勝手に転んだからで、民主党が票に見合った成長をしたからでないことを彼はわかっていたのだ。
 もし民主党が成長しているならば、彼が党首を辞めたいと言うのなら、さあどうぞお辞め下さいと言って次の党首選考に入れるはずだ。結局皆にせがまれて続投が決まった。そこまで読んでいたのか。そこまでやりかねない人だが、今回の行動は潔といえない。結果的はどうあれいったん言い出したのを引っ込めるとは潔しとしないというのが小生の考えである。その点も亀田と似ている。
 亀田興毅は涙の会見で人気が盛り返したようで、TBSも懲りずに彼らの放映は続けるとのことである。日本人は涙に弱い。一時の感情で流した涙にコロリと騙されている。その証拠に、メキシコに行くときの会談を見ればわかる。もう許されたと錯覚したのか相変わらず前と変わらない。普通の言葉遣いができないし、敬語が使えない。躾が悪かったせいかもう今更まともな言葉遣いができなくなってしまったのか。外国語を習うつもりで最初からまともな日本語を習ったほうが良い。「・・・・な」という語り口調は相手を不愉快にする。彼らの喋る言葉が大阪弁と思ってもらったりしては困るという関西人は多いが、「・・・・な」調で喋るのは、電車などの人込みでよく耳にする。
 関西の人が思っているよりも大阪弁は柄が悪いと思っている非関西人は多い。山口組などの暴力団のイメージと重なっているかもしれないが、修学旅行に関西に行く場合に、関西は柄が悪いから気をつけなさい、と注意する先生や親がいるということを関西の人は知っているのであろうか。さる関東の県の委員会に出た後の懇親会で、関西の人は怖いと警戒された経験がある。このようなイメージを亀田一家が加速しているのは確かである。自分への悪口は自分には聞こえてこないことに気をつけるべきである。小生は関西生活が25年以上になり、関西弁は今もって使えないが聞くことには違和感がなく、むしろ気持ちよく聞こえる。しかし亀田言葉にはなじめない。
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1107  53年ぶりの優勝
 53年振りに中日ドラゴンズがプロ野球日本一になった。半世紀前である。その年には青函連絡船の洞爺丸が沈没し1155名の死亡者が出た。また、ビキニ環礁における原爆実験、自衛隊の発足(名称変更であるが)があった年でもある。歌では今でもよく唱われる「お冨さん」「高原列車は行く」が出たが、当時は、流行った曲はパチンコ屋はじめ街中で同じ曲が流れるので自然に曲を覚えてしまったものである。映画では不朽の名作「ローマの休日」が放映された。小生にとっては中日の優勝と合わせて忘れられない年である。 
 昔は中日フアンであった。今は、どのチームも熱狂的フアンの合唱的応援の試合風景にうんざりして特に応援するチームはない。中学生の頃はドラゴンズという愛称はまだ付いていなく中部日本と呼んでいた時代で、杉浦清が監督であった。ごたごた続きで最下位が定位置のような弱いチームであった。そのため判官贔屓で応援するようになった。
 杉浦は打力のある遊撃手であり、アウトを取るごとに球をキャッチボールのように廻すのでなく、彼を中心にグローブを皿のようにして球を送るといったプロらしいパフォーマンスをしていた。53年前に優勝した時はフォークボーラー杉下茂投手が全盛の時代である。金田正一が「自分の見た投手の中で一番よい投手」というほどのすごい投手であった。見た目がヌーボーとしていて愛嬌があって凄みは感じさせないタイプで、明治大学の頃から有名で彼のフアンであった。
 当時は六大学野球のほうが人気があった。今はハンカチ王子なんて騒いでタレント的に特定の人を応援する人が多いが、当時は野球そのものに注目して応援していた時代で、杉下投手はその投球術でハンカチ王子並みの人気を得ていた。彼ほどのファークボールを投げる人は今はいないが、彼はそれを1試合に5〜6球しか投げなかった。ここぞという時である。だからいつ投げるかという期待感があった。彼以降の投手が投げるフォークボールは自分が教えたものだと豪語していたが、それに反発を許さないほどの実績があった。今のようにもっとフォークボールを投げていたら俺の成績はもっと違ったものとなったとも言っている。ムカシ人間のもつ美学を持っていたのである.。
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1106 テレビ、いいものいやなもの
 テレビでよく大食い競争をやる。外国でもやっているようであるが、小生の嫌いな番組の一つである。何の意味もない、一定時間内に沢山食べるだけを競うことに何の意味があるというのだ。食べている姿もみっともない。 もっとも意味を問うたら意味のない番組はほかにも多い。しかし大食い競争は地球上に飢えている人が大勢いるというのに食べることをゲームにするなんてとんでもない。ただでさえ食い過ぎは止めましょうと言われているのに。面白ければいい、視聴率が稼げればいいというわけでくだらない能力を競わせている。野放しの市場原理が悪く働く事があるという典型例である。
 テレビでやればそれが正当な遊びであると取る向きが多いのである。 食い物を遊びにするというのは許せないと言うのは、食べることが困難な時代を過ごしたジェネレーションのぼやきかも知れないが。グルメということにも何となく後ろめたく感じることもあるが、同じ金を出して食べるなら美味しいものを食べるのは悪くない。が、もし美味しいものを作るために多くの廃棄物を生み出しているならやはり問題である。よく消費期間切れの食品販売が問題視されるが、マスコミは店頭の商品を選ぶ時に消費期限内のものなら出来るだけ古いものから買うことを宣伝してもいい。廃棄物が相当減少するはずである。
 テレビ番組に価値を求めると見る番組が少なくなってしまう。少なくなるということはチャンネル数はそんなに要らないということになる。ニュースと天気予報は役に立つ。ただ天気予報も気象庁発が中心だからみな同じである。気象予報士の個性が出てあの人のものはよく当たるといったものに変えることが出来ないのか。
 関西で見られるABC放送の「ムーブ」と毎日放送の「ちちんぷいぷい」はいい。しかし昼間働いている人には見られない時間帯なのが残念である。あのような番組をもっと作って欲しいものである。何がおかしいかわからないお笑い番組やトーク番組が多すぎる。電波の無駄遣いだしお笑いの質が低下するのを加速している。「新婚さんいらっしゃ〜い」は、いい。
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071105 タレント知事とマスコミ
 亀田や朝青龍と同じレベルで不愉快なのはマスコミの東国原知事の持ち上げ方である。タレントが知事になったといっても特に騒ぐ必要もない。顔が売れていて選挙が有利だった人が当選したぐらいに考えていればいいのにマスコミが必要以上に持ち上げるし、県庁まで押しかけて会いたがる。小泉元首相の場合もそうであったが、なぜキャラクターグッズが売れるのか不思議である。ヨン様ブームと同じである。
 政治家の場合は政治の仕事で評価しなくてはならないのに、タレントとして持ち上げるだけなので目的と結果の間が短絡的になって、歪な効果を生むだけである。人気と政治家としての能力とは全く関係ないからである。行政の仕事は片手間ではできない。それなりの勉強が必要である。タレント活動をする暇があれば行政の勉強をしてほしいと思うのは小生だけであろうか。
 タレント活動を通して訴えたり、人脈を広げることはできるだろうが、大事なところを見落とす可能性が高い。自分のイラストキャラクターによって当県の物産が売れるようになるというプラス効果があるのは悪くない。一つでもプラス効果があることをする努力をすることは評価するが、同じ時間と労力をもっと県政に注ぐ立場にいるのではないか。もし、事実そうであったなら、そこをマスコミに取り上げさせるべきではないか。
 マスコミが小さな出来事をセンセーショナルに取り上げるのに乗っかり過ぎているように見受けられている。テレビが面白そうだが小さな出来事ばかりを報じるから、本当は素晴らしい仕事をやっているかもしれないが、もしそうであっても、今のマスコミの取り上げ方では、それは知る由もないことを断わっておく。
 重い話題にそれなりの意見を言っている知事の仲間には入っていない。人気があればマスコミに露出する機会が多いからその序によい意見を披露してくれればいいのだが、今までのお笑い系タレント政治家にはそのようなことがあまり見られなかった。一緒に面白くもない笑いを取ろうとするばかりである。そのような番組にお声がかかるので政治向きな話をするわけにもいかない。自分の政治的考えを披露できる番組に出演できるように努力すべきかもしれない。政治家になったなら同じお笑いをするなら、愚民政治と言われないようにお笑いの質を高めるようにしてほしい
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071102 先生受難
 
戦時中、小生の家に伍長を班長とする1班(10人程、普通は1班は5人)が我が家の二階に常住した。空襲で兵舎が焼け、一方国土決戦のため陣地を作るために民家に常住することになったのである。こうなったらもう勝ち目はないのに子供心として必ず勝つと思っていた。半年ほど駐留したであろうか。その間いちども「しごき」らしきことにお目に掛かったことはなかった。もちろん作業の現場や二階の出来事は知る由もないが、自由時間や夕方など兵隊と接触することは多かった。二階に上がって班長としゃべったこともよくあった。きりっとしているがやさしい班長で、こちらが子供だからよくかわいがってくれた。毎朝行われる軍人勅諭「一つ、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。・・」の斉唱は心地よく響いた。人伝に聞く「しごき」や戦後の映画「日本戦没学生の手記、きけ、わだつみの声」にみられるような「しごき」はなかったとおもう。「しごき」がおきるのも組織を構成する人々の性格によるのかもしれない。
 暴力でなくても会社組織では陰湿ないじめがあることはよく聞く。場合によっては暴力よりひどい場合もあると聞く。ただ直接死に到らないだけである。言葉のいじめにあって自殺したり、会社を辞める羽目になり収入が途絶えて自殺する場合も結果的には暴力によるいじめと変わらない。ただ、いじめられ、しごかれる側には問題はないのか。かくいう小生だって、講義中に私語を止めない学生や大きな顔をして出て行く学生を、もし殴ることが許されるなら、殴りたい衝動に駆られることが一度ならずともあった。ここまで考えると「いじめ」や「しごき」を根絶するのは難しい。注意したら、もういっぺん言ってみろ、親にも注意されたこともないのに、と言って睨み返されたこともあった。もういっぺん注意したが、先生受難の時代である。
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071102 しごき

 最近、相撲部屋の「しごき」が話題になっている。殺すほどしごくなんてとんでもない。でも、多分死んだのは結果であって、殺すことを目的としていたとは思いたくない。どの程度しごいたら効果があるかの判断は難しい。指導のつもりで叩いたら相手が死んでしまった場合もある。手を加える方の圧力とそれを受ける方の感受性の相対的関係で叩かれた方の反応が決まるから、そのあたりの感覚に慣れていないと、悪意はなくてもとんでもない結果に陥る可能性がある。
 喧嘩で叩かれる場合、親分クラスに殴られる場合は手加減を心得ているから安心だけれど、ちんぴらクラスでは手心を知らないからダメージが大きいといわれる。身体に触らないしごきもある。野球の千本ノックもそのうちに入る。疲れて倒れることだってある。そもそも「しごき」は効果があるものであろうか。
高校、大学を通じて運動部に入っていた。しかし「しごき」らしきものに一度も遭遇したことはない。もっとも、だからそんなに強くなかったと言われれば返す言葉もない。それでも、高校時代は砲丸投げをやっていたが、強くなりたい一心で雨の日も一人黙々と投げていたし、休みの日は砲丸を家に持ち帰り家の前で練習した。大学では柔道をやっていた。学業と家庭の事情で練習は十分出来なかったが、練習できるときはへとへとになるまでやったし、練習しない時はイメージトレーニングをやっていた。その間「しごき」はまったく身の回りでは起きていなかった。みな楽しくつき合っていた。
 運動部には「しごき」が付き物という誤ったイメージがあるがそんなことはない。ただ、集団生活だから上下関係のけじめはあり、挨拶はしっかりやっていた。それは強要されたものでなく自然にそうなっていく。もっとも小生の部活はそれで飯を食うといったものでなく、エネルギーの発散という「お遊び」だったから「しごき」とは無縁だったのかも知れない。でも自主的な練習だけで、砲丸投げでは県下7位、柔道では初段の部で東海ブロックで優勝し、日米対抗にも選ばれた。
しごく場合に本当に強くしてやるという気持ち、いわゆる愛の鞭の場合と気にくわないから痛めつけてやろうという場合があると思われる。もちろんその区別がはっきりしない場合もあるであろう。「しごき」の典型は旧軍隊に見られた。新兵が古参兵に痛めつけられるのは日常茶飯事と言われていた。いじめがあったと報道されたことがあるが、自衛隊はどうなっているのであろう。近代化した組織で志願して入る自衛隊では、戦前のようなことはないであろうと思いたいが。
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071101 これからのエネルギー
 
(社)産業環境管理協会の創立45周年記念式典が10月16日にあり、小生も当協会の国家試験関係の委員として26年3か月間関与した関係で表彰された。その式典の後、茅陽一先生(東大名誉教授,現地球環境産業技術研究機構副理事長)による記念講演があった。
表題は「持続可能な社会に向かって−マルサス、ロ−マクラブから脱炭素へ−」である。最近は地球温暖化関係の講演等を多く聴く機会があるが、記念講演用に準備したというだけあって本講演は大変良い内容のものであった。
 まとめは@将来の社会が持続的発展を続けるためにはエネルギーの脱炭素化が必須の条件であるAエネルギー脱炭素を実現するためには、原子力のシェアーの確立と自然エネルギーの多様な利用方式の開発が必要であるBCCS(Carbon Capture and Storage)は脱炭素社会と現在を結ぶいわゆるbridging technologyとして有効である、というものであった。地球温暖化を直接述べるものではなくあくまでこれからのエネルギー問題を取り上げた内容であった。
 大筋はすでに知識として持っているものであった。しかし、組み立てがよかったし、髄所に小生にとって参考になる情報が含まれていた。たとえば、風力は、一般には過大に期待されていて、風の不規則性により全エネルギーの10%を供給できるかどうかという程度で、条件のいいところでも3割は無風になるとのことである。しかし、南米先端の国パタゴニアでは風がよくふき吹き、そこで風力発電をし、その電力で水を分解して水素を得て輸送するという計画があるそうである。
 またCCS技術が相当進んできていて、世界の7か所で実施中あるいは計画中であるとのことである。脱炭素の有力な手段は原子力であり、わが国の総電力量に占める割合は34%ほどである。原子力に関してはわが国では原爆被災国であるため原子力アレルギーが強い。消毒に電子線を使う方法があるが、経済的に可能になっても多分核アレルギーのため適用不可能である。健康診断でX線を浴びるなど電子線医療についてはあまり反論はないが、工業用利用は思ったより難しい。わが国ではそう簡単に原子力依存率を高めることは不可能であろう。
 アメリカの原子力依存率は20%、ロシアが15%である。これらの資源大国の原子力依存率が低いのは、利用できる資源が多いというより、国際的な原子力依存度を押し上げる声を後押ししながら自らも依存度を上げ、こっそりと資源による世界支配を目論んでいるというシナリオが話を聴きながら頭に浮かんできた。
 化石資源は過去の光合成の産物で埋蔵量に限りがあること、それを消費していけばいずれ枯渇することはローマクラブの報告を待たなくても誰でもわかる。現在でも光合成されたものが化石資源化する部分があるかどうか知れないが、それを無視すれば埋蔵量と消費量からあと何年化石資源を利用できるかはわかる。
 しかし、小生が学生の頃から今に至るまで、利用できる量はあと50年ほどといわれている。科学が進んで予測精度が上がっているが、素人は科学者の言う枯渇情報を信用せず、枯渇なんて考える必要はないと思っているのではないか。そのため、化石資源消費の結果である地球温暖化については相当な動きがみられるようになったが、現在のような資源消費に依存した生活観はなかなか変わらない。
 周辺自然エネルギーの利用に限界があるのなら、不足する過去の光合成量積分量に見合ったエネルギーは現在の太陽エネルギーから得るか原子力に頼るしか方法はない。太陽エネルギーを捉える方法は、植物の生産量を増やす(緑地面積の増加、光合成効率の上昇;たとえばC4植物を増やす、など)、宇宙太陽光発電(宇宙でとらえて地球に送る)、太陽光発電(不規則変動)などがあるが、現時点では現在のエネルギー需要を満たすことはできない。
 残るは原子力か生活水準を下げてエネルギー消費を下げるしかない。いろいろなところで難しいことを言っているが、これしか方法はない。話は簡単である。難しく言っている話は時間スケールの調整に役立つが。とはいっても、周辺自然エネルギーの利用は進めなければならない。
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071031 テレビの不思議
 
もう一つの朝青龍が主役の茶番劇は、次から次に起こるにぎやかな話題に消されてここのところ静かである。多分、ペナルティ−の二場所が終わってからまた賑やかになるだろう。横綱審議会のさる委員が言っている引退勧告は妥当と思う。
 朝青竜に関しては「まだ若いから」という温情な意見はあまり聞かれない。多分すでに十分な実績があるからであろう。外国人だからとは思いたくない。それよりも相変わらずテレビ局がしなくてもいいことを視聴率を当て込んで取材に出掛けた。許可したとかしないとかが報じられたが、許可を取ろうとしたこと自体が不遜である。
 女占い師がしゃしゃり出たとのことであるが、もともとなぜあの占い師がもっともらしい顔をしてテレビに出るのを皆が喜んで観るのだろうか。彼女の番組に出演して真剣な眼差しで下らない御託宣に聞き入っているタレントがいるのが不思議である。次の首相は誰になるかと真顔で答えていて全然違った結果になったような程度の占いである。当たるも八卦当たらぬも八卦ということは十分承知しているが、誰も予測つかないわかりもしない将来を自信に満ちて示し、それを有り難がって聴いている。そのような番組がいつまでも続いている。我が国の知的水準も推して知るべしだ。
 同じレベルで下らないのは、どのテレビ局も血液型と星座で今日の運勢を語っていることである。いつになったらこのくだらない占いを止すのか心待ちにしているが、何でも知っていて良識もある風なことを言っているニュースキャスターはじめスタッフがなぜ止めないのか不思議である。血液型で性格を判断したり星占いを喜ぶのは女性が多い。その女性の視聴率を当て込んでいると思われるが、テレビの愚民化作用は食い止めたほうが良い。朝青龍の場合は、たとえ日本に帰国して謝罪してもあの不貞腐れた顔はもう見たくない。
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071030 ジュニア 選手権か
 
このコラムで朝青龍と亀田ボクシングのことを時々取り上げた。もうやめようと思ったけれど、インパクトの強い両者の出来事なので次々とマスコミで取り上げるのでついつられて印象記を書くことになる。
 両者に共通しているのは事件が起きてからいっぺんにバッシングが起き、その風に煽られて当事者が雲隠れ的な行動をとり、いっぺんに無口になったことである。亀田の親は謝罪会見に出て謝罪になっていないと非難されたうえ、次の謝罪には欠席した。バッシングの後の謝罪でお涙頂戴的な会見をすると世論はコロッと変わるのを読んでいたような再度の謝罪があり、案の定、お涙の場面があり、それによって長男の株がある程度回復したようである。
 テレビ局が主催あるいは独占放映するようなものはスポーツであってもショウ化する。視聴率が支配するからである。だからそのようなときにはコマーシャルがいやに多くなる。そのような条件下の放映では謝罪も茶番である。
 謝罪は、もともとがマスコミが持ち上げた茶番劇の終局である。それをもっともらしく多くの批評家、元選手を出演させて批評を加えている。茶番劇を盛り立てる道化役である。まともな評論は少なかった。だから、報道関係者が厳しく追求したら「かわいそう」とか「やり過ぎ」といった反応が多くなった。冷静に事件を整理するなら当然な質問であった。そもそも謝罪会見に遅刻してくるなんてとんでもない。父親のことを突かれた時には今までの強い結びつきもあり自然に涙が出たと思うが、それ以外は腹の中ではえへらえへらと笑っていたのではないか。それぐらいの強さがなければ今までのあんなパーフォーマンスはできない。まだ若いから今後に期待するという意見が多かった。
 次男は18歳ということで未成年者扱いで今後に期待する意見が多い。しかし、今ではその年でも刑事罰を受けるし、昔はとっくに元服をしていた歳である。場合によっては一軍の大将として指揮をとり、戦争に責任を取っていた。責任をとれないような者は周りで大将と認めなかった。
 世界チャンピオンになった者あるいは挑戦者は大人である。ジュニア選手権ではない。責任が取れないようであったら世界戦をやるべきでない。再起しようが落ちぶれようがそれは本人次第で、傍の知ったことではない。今までの言動が悪いと思ったらそれを謝ればいいし、悪いと思わなければあくまでつっぱればいい。
 なんといっても下品の行動の源基である父親が次の謝罪に出てこないのはおかしい。自分が出た最初の会見がおかしいので再度の謝罪会見が行われたのである。ジム会長が言う辞職した者は来る必要がないというのも理屈になっていない。それが認められるなら、政治や行政の場で、辞職したから罪は問われないといって喜ぶ者が大勢いるであろう。日本人の品格が落ちたこの頃と思ったら、今度の事件はあの品の無さに辟易していた者が大勢いることがわかりまだわが国も見捨てたものではないとホッとした反面、あのどぎつい悪人のパーフォーマンスで売ったのなら最後までそれを貫いてくれればという期待もあった。茶番劇は最後が面白くなければならない。
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071029 戦争民営化

 最近、戦争民営化という本を見つけて読んでみた。大変面白い本である。
 国民全員がかかわりを持たねばならない戦争になったのは、フランス革命後、わが国では明治5年に徴兵制度が施行されて以降とのことである。たしかに、それまでは殿様と彼に雇われた家来で構成されたグループ間の戦争であった。武士以外は関係なかった。本願寺一揆勢のように宗教がかかわった場合もあるが、それも宗教によって固まったグループである。謂わば暴力団の組同士の争いに似ていた。

今、世界で戦争を請け負っているグループはあちこちにあるそうである。フランスの外人部隊も民営化の一形態であろう。我が国で戦争会社は作ることができるのであろうか。もしだめならそれを不可能にしている法律は何であろうか。憲法の9条は国家としての戦争を言っているのではないか。戦争会社を作って、その会社が全世界から兵隊を集め、国から武器の貸与を受け、国もその会社に守ってもらうという形態は可能かどうか考えてみた。戦争の民営化である。

日米同盟で米国に守ってもらっているのとどこが違うのだろうか。2005年に斉藤昭彦というフランス外人部隊に属したことなある人がイラクで武装組織に捕まったというニュースが流れた。日本人でも外国の組織なら戦争に参加しても憲法違反にはならないらしい。いまテロ特措法が話題になっているが、もし給油船を外国に売って、それからその船で給油した場合はどうなるのだろうか。
 外国でなく船をわが国の民間に払い下げた場合はどうなるのだろうか。給油に防衛省でなく民間が直接関与する場合である。もちろんそれなりの対価をもらうのである。その場合民間会社がわが国の政府から金をもらう場合と給油を受ける側からもらうことが考えられる。言いたいのは、民間が関与して直接的に戦争することは可能かと言うことである。

武器自体あるいは部品はわが国で作っている。それが外国に出回っているという現実がある。憲法で戦争はしないといいながら、間接的には戦争に関与している。わが国の現在の経済力なら、戦争会社を立ち上げれば外国から安い賃金で大勢の人材は確保できる。だから戦争を民営化すれば大分安く軍事力がもてるのではないだろうか。しかし国を護るという気力は保証の限りではない。安全性が関係する分野では、官で出来ることは官でやるというのが小生の主義である。小泉さんは民で出来ることは民でやれといって郵政を民営化したが、上記のように戦争でさえ民営化が可能である。安く戦争が出来る。その結果誰かの懐が肥える。くわばらくわばら。↑ページトップ

071028  国を挙げて博打打ち
 
人が何に不満を持つかというと、不公平であろう。電気もなくテレビも見れない、もちろんパソコンもなければ携帯電話もない世界の僻地で住民が暮らすことが出来るのは、そこでは人々が仲良く暮らせる程度の平等感があるからである。不平等感があれば金の多い方に流れ、人々は都会に集中する。禁断の木の実を食べてしまうと元には戻れない。
 小生自身、停電ばかりして本もろくに読めない時代を経験したが今は停電でもしたらタイマーをリセットするのにひと苦労し、パソコンが使えなくなるとお手上げである。携帯電話は使えなくても困らないが。食事もろくに米を食べられない時代に育ったはずが、いまはあそこが美味いとかいって、子供の頃とは雲泥の差がある食生活である。
 このことについてはいつも神様に申し訳ないと思っている。金がなくても平等感があれば争いは起きないし、裕福になっても不平等であれば争いが起きる。いま電気が来なくなり、食糧が不足しても平等なら小生はやっていける。貧富にかかわらず不平等はいけない。労働組合は不平等を改善する一つのシステムである。
 金だけを儲ければいいというのはわが国の文化にはないと思う一人である。だから昔は「株屋」といって、株の売買をして稼ぐ人は少し白い目で見られたものだ。金の運用だけで稼ぐのは一種の博打で、今は、世界中が賭博師ばかりになってきた。日本国民が、あるいは自由世界の人々が、村はずれの離れの暗い一室に敷かれた茣蓙の上の賽子を血眼に見詰めているのが現在の状況であろう。主婦がパソコンを使って数百万円の先物買いをやっているのをテレビで見たが、村上世彰が「金を稼いで何が悪いですか」と開き直ったのと同一次元の光景に見えた。
 組合は自分が働いているから企業が動いているという立場である。経営者のほうは自分が雇っているからお前らは食うことが出来、経営側と労働者側の収入の差は大きくて当たり前という前提である。そのギャップを埋め合うのが労使交渉である。高収入者と低所得者との金額の差はわが国は小さいが、それはいいことである。労働組合の力が弱くなると派遣労働者やアルバイト労働者の数が増加し、インターネットカフェで寝泊まりする者の数が増加する。労組側が出来るだけ労働条件を良くしようとするのは当たり前である。公共団体の組合は雇用関係が厳しくないために組合が強くなるが、親方日の丸だから組合が強いというより、全労働者の先頭を切って労働者のためになることをやっていると見た方がいいと思っている。
 労働時間の短縮、賃金の上昇、いいことではないか。国際競争力の見方を間違えている。安い労働力を求めて海外に進出すると言うこと自体が近視眼的な見方である。わが国の国力を阻害する原基である。国際競争に負けて貧しくなっても平等なら文句も出まい。環境はかえって良くなる筈だ
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071026 
働く者が主人公である
 民営化対策の一つは労働組合の弱体化である。労組が強くなると非効率的になる。それを打破したいのである。
 ここにも問題がある。最近の競争社会と効率化のために労組が弱体化してきた。経営者には好ましい環境になってきたといってよい。しかし長い目で見ればそれが社会を潰していくことにつながっていくのではないか。最近の肉親殺しはじめ過去には考えられないようないろいろの事件やマナー問題が起きている。そこで教育の在り方が問われているが、教育ばかりが問題ではない。弱肉強食的社会の行き過ぎに目を向けたい。
 鉄のカーテンがハンマーで壊され、ソビエト連邦が解体したとき、自由主義体制が社会主義体制に勝ったなどと報じられた。小生は果たしてそうかと疑問に思った。一党あるいは個人支配体制が問われたのであった、働く者が主人公になる体制が問われたのではないと思っている。わが国では最近は終身雇用、年功序列が壊れつつある。会社はだれのためにあるかという視点が欠けているように思えてならない。
 競争社会が安定性を奪い社会に不安を増大させている。労働組合は労働者の労働条件の改善を目的としている。労働者の要求が多くなればそれだけ経営を圧迫する。経営を圧迫しすぎれば会社はつぶれ、労働者自体が生活できなくなる。だからそこに自ずと落とし所がみえてくるはずである。
 公営だと親方日の丸的感覚でその落とし所が見えなくなる可能性がある。国鉄などにその例が見られた。しかしである。ラッサ熱という病気がある。病原体はウイルスである。感染したらまず助からないという病気である。アフリカでこの病気が発生してある村が全滅したとき、これから地球はどうなる事かと心配になったが、間もなく終息した。
 そのウイルスが地球からなくなったとは思えないが、人間だけに感染するウイルスは人間がいなくなれば自分が増殖できなくなる。だから人間を絶滅させることはない。適当なところで感染流行は収束する。天然痘もそうである。天然痘ウイルスは人だけに感染するので、人側の管理が容易で、地球から撲滅できたのである。管理できない時代でも天然痘ウイルスは人を全部殺すことはしなかった。
 生物かどうかの論議もあった細胞ほどの形態をもたないウイルスでさえ、自己保存のためには相手をとことん追い詰めないのである。万物の霊長といわれる人間なら、皆が幸せに暮らせる方策を見つけられないはずはない。↑ページトップ

071024 怪我と病気
 10月20日にNPO環境技術支援センターが主催する環境技術指導者養成講座の一環として、吉野エクスカーションがあった。吉野の風景とともに吉野林業の実態に触れることを楽しみにしていた。しかし、数日前に風邪にやられ、出席できるかどうか前々日まで悩んだ末、皆さんにご迷惑を掛ける事になるのも困るし大事を取って欠席することにした。若い頃なら絶対に欠席しない程度の風邪であったが、この頃は健康にはまったく自信が無くなっている。
 小学・中学校では皆勤であり、高校・大学ではさぼることを覚えて皆勤ではなくなったが、怪我をすることはあっても、虫歯以外は病気をすることはなかった。卒業した後も風邪を引きながらも仕事で徹夜をするぐらいは平気であった。「曲がりくねった道」の第12回に記したように、中年になって痛風、尿路結石など短期間は猛烈に痛い病気になったが日常生活では元気そのものであった。
 怪我は大きなものを4回経験した。最初は小学生の頃、徳川家康も遊んだことがあるという安倍川の上流に遠足に行った時である。みなが遊んで濁り、そのため先が尖った杭が上を向いているのもわからず、そこに飛び込み右胸を傷つけた。突き刺さったまま浮き上げらない可能性もあったような怪我をした。傷口は今でも残り、裸で検診する時に医者から何の手術をしたかとよく聞かれる。
 2回目は高校の運動会で裸足で走ったら、何か刃物の上に乗ったらしく左足小指の先が鉛筆の莢のようにすっぽり抜けた。近くの市民病院に運ばれたが日曜日だから専門医がいない。あまり専門でない医者が俺でもいいかと言うので誰でもいいと返事をしたが、麻酔薬が何処にあるかわからないから麻酔抜きでやるということになった。指先といってもすごく痛かった。少し縫ったところでその医者より経験がある医者来て、これは縫わなくても外れた部分をそっと元に戻して、外れないように静かにしておけばよいと診断して、縫ったところを抜糸した。何もなかったように回復した。
 第3回目は「曲がりくねった道(第12回)」に記したように割れたガラス瓶を踏みつけた時である。第4回目は今年2月家の中で転んで後頭部の上皮を切った時である。どうして転んだかわからなかった。大病をした後で平衡感覚が衰えていることは確かである。柔道で送り足払いをやられたように転んだ。転んだ時はしまったと思いすぐ受け身をやったが、頭のところに段差があるのに気づかなかったので、横後頭部を打ってしまった。すぐ救急車で病院へ行き8カ所ホチキス止めをし、MRI検査などしてもらった。内部は大丈夫との診断結果でホッとした。
 最近経験した大病については「環境技術」12月号の「曲がりくねった道最終回」に記した。この大病以来いっぺんに健康への自信を失い、無理をする気力が無くなった。そのため吉野に行けなかったのは残念である。景色と食事(平宗の柿の葉ずし)と吉野林業の実態に関するお話に接する機会を失ってしまった。以前に箱根林業の話を拝聴した機会があったが、大変有意義であった。環境を守りましょうという耳障りのいい話と違って、環境に埋もれながら四苦八苦している現場の声を、環境を標榜して活動する者は聞かなければならない。
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071023 高度な技術の伝承
 公共施設において不可抗力の判断をするレベルに、事業体によって差があるようである。たとえば水道における高濁度時における対応である。しばらく前、北海道のさる水道で高濁度水が来て水が濁って給水停止をしたことが報じられた。その時、当局は原水が異常な高濁度になったと言っていた。小生の判断では大雨のときに見られる程度の濁度である。日常の濁度をどれほど上回ったら異常であるかの判断は事業体によって差があるかもしれないが、水道ならめったに来ない濁度水でも対応できる装置と技術を備えているべき、と小生は思う。
 小生は1万度ぐらいの濁度でも対応できた。伊勢湾台風のときは記憶は定かでないが5千度程度ではなかったかと思う。その時、停電のためとはいえ濁った水を供給してしまったことは恥ずべきである。それ以後、発電施設を充実するなど停電対策が採られるようになった。当時の名古屋市で、今から振り返って感心するのは、管の工事や敷設替えで水が濁るときの対策を徹底的に仕込まれたことである。
 管路の図面を見て、ここでこのバルブをどれぐらい開けて捨水したら、管網の中の水はどうゆう動きをするか、濁るとしたら何処がどれ位に濁るか等を勉強するのである。バルブが何処にあるかもしらなければならない。図面と実際とが一致しない場合もある。そのときどうするか。どんなことがあっても水道水は絶対に濁らせてはいけないと言われ、自分もそう思っていた。
生物出身の自分が水道の水質を担当する職務に就いたから、専門ではないと断ってはいけないと思って一生懸命やった。何度かの管の敷設替えなどに立ち会って一度も濁らせたことはない。管の敷設替えの経験は末端給水を持たない用水供給事業体では味わうことは出来ない経験であった。当市をやめて別の市に住むようになり、水道工事のたびに「今日は水が濁ります」と広報するのを聞いて不思議に思った。一度当局に苦情を言ったら「管の工事をしたら濁るのは当然です」といわれた。このように、何が当然かは当局の心構えで変わってくる。
 上記の原水濁度上昇による浄水悪化の件も、リスクの前提になる条件設定が組織によって異なる例であるが、多分淀川水系にある水道企業体では北海道で起きた高濁度で水を濁らすというレベルはとっくに過去のものになっていると思う。公共施設では「可能な限り」のレベルをよく見極めて、できれば「可能な限り高いレベル」に目標を置いて市民サービスに努めなければならないと思う。高いレベルにするにはそれなりの研修と技術の伝承が必要である。
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071022 
忘れる
 水没が約3ヶ月続いて時間稼ぎができたので、その間に、浸水地域の水排出用の堤防代わりにもなった近鉄の線路は、狭軌であった伊勢中川−名古屋間が復旧序でに広軌になり、名古屋−大阪間が乗り換えなく行けるようになった。
 名古屋はお城の金の鯱が有名であるが、鯱は水を呼ぶ力があり、伊勢湾台風も名古屋城の鯱が呼んだのではないかという話が出回った。1961年に災害対策基本法が施行されたがこれは伊勢湾台風の被害の産物である。小生は、実は、台風の一ヶ月後に結婚したが披露宴は紅茶とケーキだけの地味婚、新婚旅行も一日短くせざるを得なかった。これは自発的なもので、みなが苦労している時に派手な式をやったり、旅行をするという気にはなれなかった。
 このように自分の人生でも非常にインパクトの強かった出来事である伊勢湾台風であったのだが、その台風のことを、新幹線車内に流れるテロップを見るまでは気付かなかった。そうと知った時にはほんとうにびっくりした。
 当時の様子ははっきり覚えているのに、9月26日という日付を手帳で見ても何も感じなかった。呆けてきたのかも知れない。そういえば履歴を書く時、書いたメモを見ないと正確には書けなくなってきた。でも人間の記憶なんてこんなものかも知れない。だからこそいろいろな事件に関してメモリアル行事が行われる。しかし辛い出来事を記憶の片隅に追いやることが出来るというのも場合によってはいいことかも知れない。
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071022 
水没は3ヶ月続いた
 未明まで荒れ狂った台風が去った朝、浄水場に着いてからが大変であった。原水濁度が数千度になり硫酸バンドの適正な注入の決定と作業員への指示が主要任務であった。ジャーテストで最適注入率を求めてその濃度を指示しても遅い。濁度は秒単位で変化するからである。あと何秒後に注入率はどうなるかをジャーテストをしながら勘で決めるのである。高濃度注入になるからアルカリ度が減少する。そのための消石灰注入の決定もしなくてはならない。濁度のピークが過ぎてからの濁度が下がる過程における薬剤注入管理も難しい。小さい粒子だけが残るように濁質の粒径分布が変わり、しかもピークを過ぎてからのほうが高濁度の状態が長く続くのである。
 1週間ほどはビタミン注射を打ちながらの徹夜である。原水濁度が千度ぐらいになった時停電になった。浄水場には発電装置はあったがその当時は小さかった。また燃料量が不足した。伊勢湾台風クラスの被害が出ると、浄水場だけが被害を受けるのではなく、供給元が被害を受けたり交通網が切断され塩素、バンド、重油などが思うように浄水場にやってこないのである。濁度管理作業の途中に薬品供給会社へ行き供給の打ち合わせも行った。電気で動くものは停電した時は全くどうしようもない。薬注は手動に切り替えても凝集池の攪拌機が動かない。しだいに沈殿池が濁っていき、ろ過水濁度が時々刻々上がっていくのを切歯扼腕、呆然と眺めるほか仕方なかった。いまもってその時の切なさは思い起こすことが出来る。
浄水が濁って濁度の水質基準値を上回っても、塩素濃度を高めて水は送った。そのほうが市民に役立つからである。雑用水として十分役立つからである。身体を拭いたり家財を洗ったり洗濯したりする雑用水の需要が高くなった。水に浸かっている被害地でも水道水が出ることは非常に有難いという事を多く聞いた。
 市内の残留塩素測定や採水のためトラックで出掛けた。名古屋市の南部は全部水に浸かったので腰高のトラックでないと水の中に入って行けない。それでもあまり水深の深いところには行けない。屋根の上に布団を積んでいる人があちこちで見られた。死体運びの作業にかり出された同僚が市民からの罵声がすごかったと言っていたが、水質検査にはその重要さが認められているのか何の支障もなく作業をすることが出来た。水に浸かった市民でも一番助かるのはきれいな水である。水没は約3ヶ月続いた。
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071019 1959年 伊勢湾台風
 
9月26日に新幹線に乗っていると、電送ニュースが流れ、1959年の今日が伊勢湾台風の日だと告げていた。すっかり忘れていた。ちょうど名古屋に住んでいてもろに経験したのに。
 気象庁が進路予測を正確にすることが出来た台風であり、台風が近づいてくるのを刻々と知らせる通りにやってきた。夜中に一番接近した時は家が吹っ飛ぶような感じがした。母親は手を合わせて「南無阿弥陀仏」を唱えていた。雨戸を、はじめは押し込まれないように内側から外に向けて押し支えて、ある時間からは逆に吸い込まれないように内側に引っ張った。
 雨戸を破られないようにするのが大変であった。いったん破られたら屋根が吹き飛ばされるか、家の中を風が通り抜けて家の中のものがめちゃくちゃになる。もちろん雨が窓と雨戸の隙間から入ってくるがそれは防ぎようもなく、家の真ん中に積んで濡れるのを防いだ。雨は瓦の下から吹き込み、家の中で傘が必要なほど雨漏りがすごかった。
 瓦はみな飛ばされたと思ったが、全部針金で縛ってあったので無事であった。また、周りの家は全部床上あるいは床下浸水していたが、我が家は無事であった。父親は家作りの道楽みたいなところがあって、それまで数軒の自宅を作っていた。そこで、浸水対策を考えてか必ず1mほど土盛りをして家を建てていた。その発想が役立ったと言える。瓦が吹き飛ばないようにするのもそうである。伊勢湾台風より数年前静岡で竜巻に遭い瓦がすっかり飛ばされたのである。伊勢湾台風の最大風速は75m/sであった。
 やっと台風が過ぎ去った朝、日曜日であったが、呼び出しもないのに自然と職場である浄水場に出掛けた。空は台風一過の快晴であったが、途中の景色は一変していた。看板という看板はみな飛ばされたりぶら下がったりしていた。浄水場にはほとんどの職員が自発的に集まっていた。阪神大震災の時と大きな差がある。
 阪神大震災の時には県知事まで職場に出るのが遅れている。職場優先の考えから次第に家族優先のほうに国民の考えが変わってきたからかも知れない。伊勢湾台風時代は水道は重要なライフラインで、家族が無事なら後は家族に任せて職場に行くという考えが強かった。公務員であるので「全体の奉仕者」であるからそれが当然と思っていた。もし、水道が民営化したらここらあたりの考えの差が出るであろうと予測できる。
 ちなみに、伊勢湾台風における死者4697名、行方不明者401名、負傷者38921名であった
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071018 翻訳仕事
 
本の種類にもよるが、外国本の翻訳も楽な仕事ではない。
 編著者ともなると他人の訳文の正確性と、時には原著の正確性もチェックする必要がある。数式がある時にはその式を理解しなくてはならない。数学の本を買って、あるいは図書室に行き、知らなかった難しい数式を勉強したこともしばしばあった。時にはこんなに苦労するなら自分のオリジナルの本を書けば良かったと思ったこともしばしばあった。そんなに苦労しても評価は低い。
 訳者としての評価は低いが社会に貢献する度合いは低くない。というよりこれを訳せば役に立つと思われるのを厳選して翻訳してきたつもりである。翻訳本の中には訳がまずくて何を言っているかわからないものがある。訳本を買う時はページをぺらぺらめくりながら、書いてある文章が読みやすい日本語になっているかどうかを確かめてから内容をチェックして買うことにしている。下手な訳の本を読もうとするのは時間を浪費するだけだから辞めた方がよい。↑ページトップ
071018 本の評価、論文の評価
 
大学などで業績を評価する場合、わが国の工学系では一般に本の出版は学会誌などに掲載される論文より評価が低い。数百ページの本より数ページの論文のほうが価値は高いのである。書くエネルギーは本のほうが数倍要するが、論文のほうは書く以前の実験等に相当のエネルギーが必要である。
 本は過去をまとめたものであるが、論文は本になる以前の生のデータと考えをまとめたものである。というように考えれば、学位論文と同じく新しく世に顔が出たものに高い価値を認めていることになる。別の見方をすれば論文審査という他人の専門家の評価を得ているということを評価していることになる。
 本の場合は出版社が出版に値するかどうかを判断する。ただその道の造詣は深いが第一線の専門家ではない人の評価である。そのために研究論文が本より優位に立つが、本を書いたり編集する時のエネルギー量は研究のために要するエネルギー量に劣ることはない。
 良い本なら下手な研究論文より世の中の役に立つ。同じ本でも翻訳本は自分オリジナルの著書より低く評価される。内容が自分の頭脳から生まれたものではないからである
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071017 本は分身

 
本を選ぶ時は大きな本屋がいいが「政府刊行物サービス・センター」というのが大都会にある。大阪には天満橋の大阪合同庁舎3号館にある。売り場面積は広くないが役に立ちそうな本が厳選されていて本を選ぶのに効率がよい。お役所の建物に入るのでちょっと抵抗のある人もいるかも知れないが、近くに行った時は寄ってみることをお勧めする。
東京では、虎ノ門の角に大阪より大きい店がある(大手町にもある)。各省庁の売店には省庁関連の本が置いてある。最近の大きな本屋は本が読める椅子が用意してあるのはいい。ある本屋で鉛筆を出してメモを取っていたら注意された。つい図書館と錯覚してしまった小生が悪い。
本屋ではよく自分の出した本を探すことがある。店頭で売られているかどうかを確認するためであるが、自分の名前を見つけるとそこに自分がいるような感じがする。本を出すというのは研究者になる頃の夢の一つであったが、それが叶えられると何か功名心に駆られた気障な行為かも知れないと反省することがある。いっときは自分の名前が背表紙に付いた本が本屋の棚に数冊並ぶことがあって、それを見てニヤリとしたものである。本の出版も社会に貢献する一つのスタイルであるから、自分の本を見た時は自分の存在価値を感じたものである。しかし考えてみればそれは自分の独りよがりで、本という形で資源を消費し、本屋の棚という空間を奪ってしまう。だから本当に名著というものでなければ本屋に置いてはならないかも知れない。というような反省をしながらも、先日、東大の図書購買部で自分の名前を見出した時はうれしかった。本を出版するという歳を過ぎてしまっても、まだ悟りが開けていない
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071016 過去の事件を読む
 
大分前に買った本で、水の微生物を研究している若者に紹介したい本は清水一行著「毒煙都市」(剄文社)である。
 昭和12年(1937)9月福岡県大牟田市を中心にしてで患者2万1000人以上、死者800人以上という赤痢患者のアウトブレークがあった。わが国最大の水道による感染症発生事件として取り上げられたが、実は軍部等による国家犯罪と思われる。疫学的に見て、特定汚染源から発する水系感染症流行とはとても思えず、犯罪の可能性が濃厚と小生も思う。例えばおかしな赤痢予防錠の存在、汚染源とされた井戸から市内に送られる途中の配水池の水を飲んだ人が発症していない、原因の水を積んで出航した船から全く患者が出ていない、一人の幼児が排出する菌量と患者数がかけ離れている、赤痢菌を検査した機関によって菌種が異なるなどおかしなことが多い。このような背景があったためか、事件の大きさの割には水道界が大騒ぎになったというようなことは文献の上から見て取れない。
 1996年のクリプトスポリジウム事件では水道界をひっくり返すようになったのと比べれば水道界の扱いに雲泥の差があり、如何にうさんくさい事件であったかがわかる。
 森村誠一著「悪魔の飽食」(光文社)が中国におけるわが国の731部隊(別称石井部隊)の人体実験を題材にしたのと同様に、権力が犯す犯罪の怖さを感染症と絡めて鮮明に浮き上がらせた小説である。
 「悪魔の飽食」は、その内容の正確性について指摘する向きもあるが、人体実験を行ったという大恐れた事件であったことは事実である。731部隊の構成員は有名大学の出身者が多く、戦後に大学や国立予防研究所(現国立感染症研究所)の主要な役職に就いた。
 薬害エイズ事件で有名になったミドリ十字の創始者もそうである。その時の黒い経験がわが国の予防医学を前進させた側面があるとは思いたくない。国家権力が意識的に悪さをする時代は過ぎたと信じたいが、年金問題では権力でなくて年金を扱う個人が金をくすねるような悪さをする。これも形を変えた権力の悪用であろう。
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071015 背表紙の「水」に目が行く
 
街をぶらついていてちょっと時間があるとよく本屋に行く。専門書以外にも小説、随筆もよく見るが、小説でも表題に「水」の字があるとつい買ってしまう。最近買ったものは
@死水 三浦明博 講談社文庫
A水の伝説 たつみや章 講談社文庫
B下水道 角田喜久雄 春陽文庫
C水辺遊びの生態学 嘉田由紀子、遊磨正秀  農山漁村文化協会
である。
Cは専門書に近いが子供の遊びを主な切り口にして水環境における人々の生活の息づかいを扱っていて面白い。Aは児童文学である。いじめにあった子が田舎に留学していじめからの苦痛から解き放たれる過程に環境に存在する神様が介在するというもので、村を見守っていた神が環境破壊を嘆き悲しみながら主人公と交流するというファンタジー小説である。神様が「山のことわりを考えずに、根張りの悪い杉ばかりそだててしまったからよ」と言って、山崩れを助けようともしないのを、子供が一生懸命頼んで、雨を降らすのを辞めてもらうと言った内容である。
 「水」の字はないが「黒部の太陽」も買った。これは1968年に石原裕次郎主演で公開された映画の原作であり、裕次郎がこのようなものは映画館で見てくれと言った意向を汲み取って、テレビ化はされたがビデオ化されていない。小生の年代では懐かしいものだが、原作を読んでいなかったので本屋で目に付いたときすぐ買った。
 黒部ダム建設工事を扱ったもので、黒四で苦労した大勢の人達の、人間の記録である。雄大な土木工事のロマンを感じるとともに人々の汗を嗅ぎ取ることが出来る。土木工学科が脚光を浴びていた時代であり、現在の名称を変えてまでなんとか学生を集めようとしてるのとは大違いの時代であった。雄大な事業が無くなるとともに人間がこぢんまりしてきたように思えてならない。
 少し古くて入手困難であるが歴史読本:臨時増刊-日本人シリーズ-事典−日本人と水(新人物往来社)はいい。是非復刻してもらいたい雑誌である。水と政治、水と産業、水と環境、水と生活、水と文化、水と信仰などの歴史がコンパクトに書かれている。
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071015 喧嘩か
亀田大毅のWBC世界フライ級タイトルマッチが注目された。へそ曲がりで人が応援する人を無視し、人気のない選手を応援する小生だが、今回だけは内藤選手を応援した。もともとこの試合を見ないつもりがダーティ−を売り物にしているのが却って気がかりになり、ときどきチャンネルを変えながらも最後まで見てしまった。
 品の悪さは逆説的に人気を集める手段と思っていたがどうも本質的なものらしい。亀田兄弟の試合を応援したくないのは品の悪さ、マナーの悪さが度を超えているからである。躾が極度に悪い。
 試合前日の選手会見での先輩を呼び捨てにするような礼儀を失した態度がまず気にいらない。試合直前の睨み合いも見たくないシーンであったがもっともいけないのは試合後の退場態度である。相手に挨拶もせずに無言ですごすごと下がって行った。そんな者はスポーツをする資格はない。全力を出して試合をして、終わったら互いを労わって終わるのがスポーツである。喧嘩ではない。亀田チームの態度は喧嘩に負けたチームが下がっていくものである。
 ラグビーの試合が終わることをノーサイドという。試合が終わったら両軍のサイドはなくなり、同じ仲間であるという精神を表している。また両者の親睦を深めるという考えでアフターマッチファンクションという親睦会を行う習慣もある。流石、紳士の国イングランド起源のスポーツである。これがスポーツである。「切腹する」なんて出来もしないことは言うべきではなかった。本当に切腹し出しても止める人がいなかったらどうする。「下らないこと言ってすみません」と謝るべきである。そんな神経は持っていないだろうが。試合中の反則もつい出てしまったというものではなく、意識的に禁じ手を出している。
 救われるのは、殺伐とした世の中になったが、品格を欠く選手にブーイングし、同選手を持ち上げるテレビ局に対して非難が殺到したことである。ついでに、品性下劣なものを英雄的に持ち上げ扇動し、喧嘩をスポーツと勘違いしているテレビ局を誰かが指導してほしい。それができないなら当テレビ局は亀田と朝青龍の格闘技をやらせたらどうか。すごく高い視聴率が得られること請け合いである。
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071012
 大阪の実力
 久しぶりに飛行機に乗ったのであるが、預ける荷物の検査がセンサー技術により簡素化された反面、ボディチェックが厳しくなった。関空はそれほどでもなかったが仁川空港ではハンカチまで出さされた。時代とともにチェックの仕方が変化しているが、今まで一番厳しかったのは、1972年イスラエルのテルアビブのロッド空港(現ベングリオン空港)であった。ちょうど岡本公三らの日本赤軍が空港で乱射事件を起こした直後であったためで、土産として持っていた瓶詰めの中まで指を突っ込まれた。
 ソウルの繁華街には日本並に喫茶店が多い。小生は日本でよく喫茶店に行く。そこでパソコンで作業することが多い。喫茶店情報はよく知っているつもりである。韓国は日本より物価が安いから、食事のほかにショッピングを楽しみに行く観光客が多い。ブティックの人が買い付けに行くとも聞いている。
  しかしコーヒーの値段は変わらない。パソコンが無料でできる店があるのはよかった。しかし日本語ソフトは入っていないので、読むことはできるが書いて送信することはできない。ただ裏技があり、日本語をインプット・送信することができたが、別の店ではできなかった。もう少し時間があればもっと検討したかったが、よい裏技を知っている人がいれば教えて欲しい。
明洞の喫茶店で典型的な大阪のおばちゃんに出会った。メニューを片手に相手がわからぬ日本語と手まねで注文していた。しばらくしてこちらが日本人と見て話しかけてきた。
 よくしゃべるおばちゃんはやはり日本語で喋りまくる機会が欲しいらしい。ショッピングや食事が目的でなく、気分転換したい時にさっと外国旅行に出かけるとのことであった。そのため、パスポートのスタンプを押す余白がないくらいに外国に行くので、アメリカでは麻薬運搬者と間違えられて徹底的(パンツの中まで)に調べられたと言っていた。逞しい。日本人も年配の女性が一人旅をする時代になったと思いを馳せるとともに、外国でも物怖じせず、言葉がわからなくても大阪のおばちゃん丸出しでやっているのを見て、うらやましいと思った。見習わなくては。↑ページトップ
071011 韓流ブーム、私流
  我が国はいっとき韓流ブームがあった。「冬のソナタ」のヨン様の影響である。おばちゃんがこぞって韓国を訪れた。一時ほどではないが今でもその傾向はある。 小生はヨンさまより「チャングム」のイヨンエのファンである。彼女は「ドクターズ」にも出演していたが、チャングムがはまり役である。そこで、今まで韓国に行くたびに街で出会う韓国人にヨン様やイヨンエのような美男美女に会えないかと探したがなかなか出会わなかったが、今回は数人に出会った。やっぱりいるのである。
  韓国は整形手術が一般化しているとのことであるが、きれいな人はきれいであるということがわかった。明洞でコマーシャルの撮影をしていたが、そこで見た女性がいままで韓国で見た中で一番きれいであった。明洞を歩いていると撮影現場によくぶつかる。
  韓国の食堂は、オンドルのせいか、平たい床で食べることが多い。女性も上手に胡坐をかいて食べるが、女性が胡坐をかく姿勢がなかなか色気があっていい。おばちゃんが集団で、韓国の男性タレントに夢中になるのはちょっと異様であるが、考えれば、若い女性が特定のタレントに群がるのと大して変わらない。国境を越えアジアで追っかけをする現象である。タレントを追っかけすること自体には少しばかりの嫌悪感を持つが、国際交流には思いのほか役立つと思われる。普通の力学では動かない流れを引き起こしているからである。
  たまたま執筆中に木村拓哉がソウルの金浦空港で2000人の韓国女性に出迎えられる様子をテレビで見た。どこの国も同じである。キムタクはあまり好きではないので相当バイアスがかかって見てしまうが、彼は腰が曲がり気味で背骨がピンとしていない。韓国旅行に行くのは女性のほうが多いので街で日韓両国の男性を同時に比較できるチャンスは思ったより少ないが、韓国の男性は徴兵という日本にはないバリアーを通過するせいか日本の男性より姿勢がいい。キムタクとイビョンホンを比べればわかる。キムタクファンに怒られるのを承知で言うと、キムタクが何であんなにもてるのかさっぱりわからない。歳のせいか?↑ページトップ
071010 韓国、うまいもの
 韓国旅行の楽しみの一つは食事である。肉料理が主体である。観光案内や雑誌で何度も紹介されているし、味覚には個人差があるので今更述べることもないが、ちょっと書く。
 「明洞餃子」という店の餃子(マンドゥというもの)は日本のものと形も味も違うがうまい。長い行列ができているので、すぐには座ることはできない。焼き肉は、地元の人の案内で行った観光客がいなかった「多楽房」という店の焼き肉デジカルビも美味かった(孔徳という地下鉄の駅の近く)。
 新村では、街で出会った日本語も英語もできない青年が、やはり韓国語のできないこちらの身振り手振りの意味がわかったらしく、仕事を放って100メートルほど案内してくれた。
 韓国人は親切な人が多い。彼に案内されたマックッジュのタッカルビとそれと同時に出てきたうどんは美味かった。この店は常に満員であったことがそのことを物語っている。韓国の巻きずしキンパは人によって評価が異なるが小生が好きなものの一つである。
 明洞にある楽園という店のものが良かったが、今回は改築か閉店か聞き取れなかったが、工事中であったので、地元の数人に聞いて最もよさそうと判断したキム家レ(直読)という店へ行った。キンパも悪くなかったが、そこで食べたトッポギがよかった。今回は行かなかったが、明洞の南大門寄りの隅のみすぼらしい坂を昇った二階にある店の参鶏湯はいままで食べた参鶏湯の中で一番おいしいと思った。
 昨年行った済州島では済州大学の李教授の招待で案内された店で好物のウニやアワビがふんだんに食べることができたのは今でも忘れられない。韓国料理は肉が多い。日本人も韓国に行くときには焼き肉を期待する向きが多い。あれだけ肉を自国だけで供給できるかと疑問に思ったことがある。
 立命館大学で東南アジアの環境に関するシンポジウムがあったとき、韓国の研究所からの発表者が韓国で食べる肉の70〜80%は輸入であるというのを聞いて納得した。我が国では国産肉が歓迎され輸入肉は敬遠されるが、韓国で食べる日本人は皆が韓国産と思っているのかだれも疑問に思わないようで安心して食べている。小生はもともと産地をあまり気にしない。
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071009 講座ー知的整理の楽しみ 
 10月6日にNPO環境技術支援センターの講義を聴いた。年寄りには一日の聴講はシンドイと覚悟をして出席したが、講師の皆さんのお話が上手く、また現在問題化している課題をわかりやすく話して下さったので疲れは感じなく、良い一日を過ごすことが出来た。
 森林の材積を求める方法は初めて聞く話で大変参考になった。小生の実家が一時製材業を営んでいて、入荷した材木量を「石」(こく;10立方尺)で表していたのを耳にして、奇異に思っていた。「石」は大名の知行高を表す単位しか知らなかったからである。そんなことで材木の量の表し方には生活を通しての興味があった。本庄先生の話はバイオマスにまつわる話題の整理になった。 古武家先生の環境教育の話も大変興味がそそられる話であった。昨年、立命館大学が国際協力銀行との提携事業として中国「環境技術者教育特別研修」事業のいうのを行ったが、小生は環境技術者教育の概要(課題と展望)というテーマでしゃべる羽目になった。
 いつもしゃべる内容と違うので講義を組み立てるのに苦労した。環境に限らず何事も知的に整理の付いた多くの人材を生み出すには教育が重要である。あたり前のこととわが国の現状紹介しかできなかったが、あれも参考になる、これも引用出来ると思いながら古武家先生の講義を聴いていた。講義の後での雑談で環境ディベートは何処でやったかと聞いた時、藤原紀香がいた大学だけれど違う学科だったので受講学生の中には彼女はいなかったと残念がっていた。
 増田啓子先生の講義も地球温暖化の影響の目に見える部分を解説したもので、地球温暖化がひしひしと地球を押し包んで来ている様子がよくわかり、非常にわかりやすく興味の持てる講義であった。これだけ目に見える形で地球温暖化が進んでいるのにどうして大国は決然として立ち上がらないのかわからない。
 よく「気が付いた時には遅い」と言われているが、既に気が付いているのである。「かも知れない」ではなく、わかっているのである。それでも何とかなるさと人間は楽観的なのかも知れない。世の中「悪くならなければよくならない」と思っていたけれど「悪くなってもよくならない、夜も必ず朝が来るのでなくどこまでも暗黒のブラックホールに吸い込まれていく」のか。
 温暖化の影響に関して一点だけ意見を書くと、目に見える現象が温暖化だけによる結果でない場合もあるということがある。たとえば琵琶湖のアオコの発生は確かに増えたが、それは窒素やリンといった栄養塩の濃度増加の影響が強い。その制御の効果か最近は発生回数が横ばいあるいは減少の傾向にある。琵琶湖の異臭味の発生回数も減ってきた。温度の影響は細菌数に顕著に表れると思われるが、琵琶湖の細菌に関する調査は十分でない。やっと従属栄養細菌などの動向に着手し出したが、今日明日の結果でなく息の長い測定が必要である。
 このように参考になる講義をもっと多くの人に聴いてもらいたい。この日に聞いた講義は多くの人の知的好奇心を満たすのに十分である。環境問題に携わる人でなくても聞いて楽しい講義群であった。窓から下を見れば多くの人がショッピング等に歩いている。ちょっとエレベータに乗って講義に顔を出してくれたなら役立つ話が聞けるのに。もったいない。
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071009 南北会談か野球か

所用があってソウルに行った。多くの外国に行った経験はあるが小生にとって韓国が最後の訪問国である。行きだしたら、立て続けに行くことになり今回で6回目である。同様に国内でも、県庁所在地としては島根県の松江市が最後の訪問地であったが、一度行きだしたら松江市には8回ほど行くことになった。
 ソウルには繁華街のど真ん中にあるホテルに泊まることになったが、ソウルの繁華街はどこもにぎやかで面白い。最初に行ったころはあまり茶髪の若者はいなかったが、しだいに増えてきた。ただ女性は黒髪が多い。街を歩いている人が韓国人かそうでないかは大体分かるようになった。明洞や東大門では若者でにぎやかであるが街の派手さが今一つ欠けている。どうしてかとよく観察したら、年寄りは日本のほうが着飾っている人が多いのと男性のおしゃれが少し控えめのせいではないかと感じた。新村あたりの若者で溢れかえっている活気さは日本より一段と上である。
 ちょうど盧武鉉大統領が北朝鮮を訪れ金正日主席と会談した時であった。会った韓国人とは政治的な話題は避けたが、言葉がわからずハングル文字の発音はできても意味がわからないので、新聞やテレビを見ても会談の与える影響は判断できないが、テレビでは長く報じていたので、それなりの反響はあったと想像できた。しかし、新聞の扱いの文字の大きさや紙面を占める面積それと食事時にテレビを見ている光景から、思ったより反応が鈍いように感じられた。
 それよりちょうど巨人が優勝を決めた時でもあり、李承Yのホームランシーンを何度も報じていて、こちらのほうへの関心が高いのかなと思ったりした。半島統一への盛り上がりが最近は少しダウンしているということを小耳に挟んだので、小生の思い込みで影響度が少ないと感じたのかもしれない。数年前韓国環境省の人達と昼食をとっていた時、名前を忘れたが大リーグで活躍する韓国人のプレーを報道している時、皆がテレビに釘づけになった。韓国人も野球が本当に好きな国民と思ったことがある。
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071005 ああ、ディベート
 安部内閣が総辞職して福田政権が誕生したとき、いつものごとく野党の幹部へのインタービューがあり、いつもと同じ返事が返ってきた。恒例行事と見ればいいかも知れないが、同じ事ならそんなことで時間を潰す必要もないと思った。野党も閣僚のあの人なら少しは期待もてるがあの人はセンスが悪いからダメだとか、それなりの評価をして少しは相手を立てるような解答が出来ないものか。
 反対党だから何でも貶すというというのには付いていけない。たぶん裏面では話し合いが行われているのであろうが、政策についてもテレビ画面に映る時はお互いに何でも反対する。自民党も表立った政策でも譲歩する態度を見せ始めたが、お互いに相手を貶すのは交通事故の現場でお互いが口角泡を飛ばして言い合っている風景と重なる。このような妥協を許さぬ自己中心的言動が若い人にはいつの間にやら正しい事と投影されているかも知れない。
 日本人は会議等で、特に国際的な場での討議が下手であるから、米国のように学校でディベートをやって若い頃から訓練をするといいという意見がある。確かに国際会議あるいはレセプションの場で孤立したり日本人だけが固まるのを防ぐ程度に若い中から訓練するのは効果があるかも知れない。
しかし屁理屈をまくし立てる事ばかりが上手くなるのも、世の中をぎすぎすしたものにする。
 日本人は自分が悪くないのに呼ぶ時に「済みません」といったりするような謙った態度を示す奥ゆかしさがある。外国でもちょっと肩が当たった時などは「sorry」という人が多いが、外国では自分のミスでもこちらから謝ってはダメという。
 外国の影響からか、上述のように反対党をぼろくそに言うのが当たり前になってきた。シャイな日本人が屁理屈技術を身につけるにしたがって奥ゆかしさを捨て去り、サッカーなどの試合でマナーのいいといわれる日本人観客・サポーターも、いずれ中国における試合で見られるような光景を醸し出す一群に変わっていくかも知れない
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071003 道に迷う
 
9月中旬、国際学会に出席するために東大へ行った。何度も行ったところだが初めてのルートを取ったのが失敗で、40分ロスをした。帰りも戸惑った。同じ線路に都営と営団という経営母体の違うところが行き先の違う電車を走らせているからである。
 それなりの地理を知っているので、これは目的地とずれていると思ったが、土地勘がなければ終点まで行ったかもしれない。途中で乗り換えるときに一旦改札口を出なければならなかったのもちょっと不便であった。自分の国だから心配はしなかったが、外国であったら相当心細かったであろう。
 東京に限らず、交通関係は他所からあるいは外国から来た人の立場になって分かりやすく表示しなくてはならないとつくづく思った。一方で世の中の変化の速さを感じた。十分知っていると思った横浜駅でもはじめてみる複数の通路に出会って戸惑って、いつの間にか田舎者になったかと思った。大阪駅でも絶えずどこかで工事をやっており、多分半年振りに訪れる人は戸惑うのではないかと思う。
 これらの変化の多さはそれだけお金が回っていることだから悪くはないが、たまに訪れる利用者の利便性には十分配慮してもらいたいものである。大きな駅や役所は4ケ国語の標示があるが、どの駅も、またどの役所も複数ケ国語での標示が望まれる。大学内の標示も英語は一般化してきたが、今は韓国語や中国語も必要であろう。
 留学生には英語が出来ることが必須であるけれど、親など学生ではない人々も来るのでキャンパス内の標示は複数あったほうがよい。東大からの帰りに東急の東横線に乗った、ふと見上げた武蔵小杉駅の標示板は4ヶ国語で書いてあった。↑ページトップ
071002 腰砕け相撲協会
 
朝青龍問題で相撲協会が杉山邦博氏から取材証を没収した。
 深く大相撲に理解を示し、朝青龍問題にわかりやすく合理的なかつ建設的な意見を述べていた方に対して、わけの分からない理由で協会理事長は門前払いをしようとした。相撲協会も末期的症状を呈している。
 「テレビ番組でコメンテーターに頷いたこと」が一つの理由に挙げられた。人の言っていることに頷くのは同意と納得する場合、同意見ではないが言っていることは分かったことを示している場合および条件反射的に頷く場合がある。
 要するに頷いていることが同意していると思うのは早とちりである。講義をしていて学生が頷いても理解していると思ったら間違いである。試験をして頷いた学生が頷いた部分の問題を間違うことはよくある。分かったつもりでも聞き間違えていたかもしれない。
 頷く行為で一方的な判断をしてはならない。もう一つの理由がテレビに出ていた彼の肩書きが評論家であるということである。都合の悪い人を遠避けようとする言い掛かりである。
 政治やスポーツ分野に番記者というのがいる。特定な人について情報を得るのであるが両者間の距離が近くなり過ぎると癒着が生じる。質問を受ける方も相手を選び都合の悪い記者を遠ざけるようになる。記者のほうはそれを避けるために諂うようになる。このような状態からニュースが流されるとなると、何が真実かわからなくなる。
 小生も今までマスコミの質問を受けたことが何度もあるが、出来るだけ諂わないように、また真実を述べようと試みてきた。言ったことと記事に書かれたことが異なる場合もあったし、言った事によって不利を蒙ったと思われる人から文句を言われたこともあった。書かれる記事や報道もあるバイアスがかかることはよくある。
 所詮民主主義とはそんなものと割り切るのは寂しいが、批判的意見や反対意見を封じ込めようとするのは、どこかの遅れた政治体制の国がやることで絶対してはならない。杉山氏の件は、相撲協会が後ですぐ取材証を返還した。恥の上塗りである。↑ページトップ

071001 横浜みなとみらい21
 
先日、久しぶりに横浜の関内から横浜駅まで、みなとみらい地区経由で歩いた。最近、大阪でフンベルベルトウ゛ァッサーの奇抜なデザインの建物を見たためか、建物や地域全体の景観をじっくり見ながら歩いた。
 専門でないので技術的な評価は出来ないが、絵画同様プロがデザインしたものを専門家が評価するのはコンペの世界であり、デザインは本来それを多くの人が鑑賞したり利用するもので、デザインを含む景観はまさにわれわれ素人が評価すればよい、と勝手に思い込みながら散策した。
 みなとみらい地区はわが国最後と思われる港湾開発地域で面積が広く、商業施設を中心に出来ているほか、大さん橋や山下公園などの旧来の横浜名所と繋がっている。同じく埋立地に作った開発地域である大阪の舞洲地区がスポーツ施設や公共施設などが中心で他は殺風景であるのと比べると、みなとみらい地区はショッピング、映画館、美術館、ホテル、スポーツ施設、食堂街などいろいろあって楽しい。そのような施設を揃えている神戸のハーバーランドと比較しても、面積、店舗数などか見た規模が大きく、また既存の名所との繋がりもあって楽しめる度合いも横浜のほうが勝っている
 しかしここでも気になったのはデザインのことである。
赤レンガ倉庫は、心の休まるレトロの空間であるが、しっとりしたレンガと過去を懐かしむ雰囲気がいいのだろう。シンボルタワーであるランドマークタワーも街の道路から見える姿もいいし、下から見上げるのもいい。しかしその外装は平凡である。流石に美術館だけは外装にも配慮が伺える。大さん橋は鯨をイメージしたもので別称「くじらのせなか」といわれ、単なる桟橋でなくショッピング、食事、観光の機能を備えすばらしい施設である。デザインは外国人である。この地区にもフンベルベルトウ゛ァッサーの建築物があればいいのになとつくづく思った。残念なことに既述の大阪の施設が彼の遺作になってしまった。
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070928 花火を楽しむということ
 一見無駄に見えるもので実は相当の効果があるものの一つがデザインである。
 そのなかで意見の分かれるものに花火がある。夏の夜空を飾り、ひとときの鮮やかな彩りで人々を楽しませてくれる。しかし何も生産はしない。2時間ぐらいの間に多額のお金が消える。そのお金を無駄と思うかどうかである。
 スポーツの祭典に添える花火はその大会と一体となったものであり、大会を盛り立てるものとして無駄には思わないが、単なる花火大会はどうであろうか。大会はいろいろな団体の主催で行われている。宣伝のものもあろうし、人集めのものもある。人が集まれば金が落ちる。だから無駄ではないといえるが、それだけのお金があっという間に消えるなら、その分だけ難民に寄付してほしいとか、環境保全に役立ててほしいという意見も出てくる。花火は一発で、小さいものは数千円、5号玉で約1万円、10玉(尺玉)で約6万円、20号玉(2尺玉)で約60万円、高いものは数百万円のものもあるらしい。だから、数千〜2万発の花火を打ち上げれば数億円があっという間に消える。大会運営、会場整理などにも費用はかかる。
  関西でも大きな花火大会がいろいろ知られている。たとえばなにわ淀川花火大会、びわ湖花火大会、教祖祭PL芸術、長浜・北びわ湖花火大会など2万発クラスの大会である。関東では隅田川の花火が昔からよく知られている。時代劇の好きな小生は船に浮かべて花火を楽しむ風情は好きで、これこそ花火鑑賞の極致と思っている。
  最も人が集まり、権威があるといわれるのは(社)日本煙火協会が主催するもので、雄物川河畔(秋田県)の全国花火競技大会と桜川河畔(茨城県)の土浦花火競技大会である。いずれも約2万発、70万人が集まる大規模なもので、観光会社が大分前から場所取りのためにロープを張ったが、それは認めないとして市役所の人がロープを取り除くことが報道されていた。
  日本人ははかないものが好きのようで、ぱっと咲きぱっと散る桜を好むのと同様に、暑い日の夜空に一瞬に輝いて咲く花火を楽しむ。皆が楽しめるなら無駄の効用として花火大会には異論はなく、それだけ浪費する余力が出来たと納得している。ただし環境ボランティアから反論されると返答に困る
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070927 見学!ごみ処理場

 スラッジセンターを見学した後に向かいにある大阪市環境局舞洲工場(ゴミ処理場)を見学した。
同じデザイナーによる奇抜な外装の建物である。できたのはこちらが先である。奇抜な外装をラブホテルと皮肉る人がいるが、デザインなんてそんなものである。ピカソの絵でも多くの人にとってはわけのわからぬくだらない絵に過ぎない。
 小生もその仲間だったが、バルセロナのピカソ美術館を訪れて目から鱗が落ちた。この施設の外装デザイナーであるフリーデンスライヒ・フンデルトウ゛ァッサーの哲学「束縛されるな、追随するな、定規を引いたものには不信を、直線は胸に抱くな、自由であれ、そうすれば何者にも脅かされぬであろう」はいい。気に入った。確かに建物の立ち上がりの部分も波を打っている。
 彼のデザインのものはキッズプラザ大阪の4〜5階と東京のTBS放送センターの正面玄関左側遊歩道にあるTBS21世紀カウントダウン・モニュメントで見ることができるとのこと。一度ぜひ訪れてみたい。
 ごみを処理する施設にこのようなデザインは不要という報道が多かったが、ごみ処理場だからこそこのような外装が必要である。ごみ処理場という迷惑施設と思われがちな施設を見る者を和ませ従業員に気力を与える。
 入場したらすぐ人工芝に寝転びながらの映像による説明があった。腰に弱みのある小生にはちょっと苦痛を感じることもあった。大阪市は小学生にゴミ処理場を見学させるルールになっているとのこと。いいことである。
 建設費609億円の施設で1日900トンのごみを処理し、粗大ごみの破砕施設を備えている。ごみ処理場も大分進歩した。昔はよく臭ったけれど、臭いはほとんどない。 ただ強烈な臭いを持つピット汚水関係の話を時間の都合で聞くことができなかったのは残念であった。ダイオキシン等排出ガス対策も十分であった。大阪市は分別収集には他都市に比べて緩やかで、環境をやっているものが言うべきことではないが、横着者には住みやすい。来年1月から透明な袋でごみを排出するようにはなったが。
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も く じ, NO 2
071112 日本シリーズで勝つこと
071109 人物評価は難しい
071108 小沢一郎と亀田
071107 53年ぶりの優勝
071106 テレビ、いいものいやなもの
071105 タレント知事とマスコミ
071102 先生受難
071102 しごき
071101 これからのエネルギー
071031 テレビの不思議
071030 ジュニア 選手権か
071029 戦争民営化
071028 国を挙げて博打打ち

071026 働く者が主人公である
071025 民営化と安全性、どちらをとる
071024 怪我と病気
071023 高度な技術の伝承
071022 忘れる
071022 水没は3ヶ月続いた
071018 1959年 伊勢湾台風
071018 翻訳仕事
071018 本の評価、論文の評価
071017 本は分身
071016 過去の事件を読む
071015  背表紙の「水」に目が行く
071015 喧嘩か
071012 大阪の実力
071011 韓流ブーム、私流
071010 韓国、うまいもの
071009 講座;知的整理の楽しみ
071009 南北会談か野球か
071005 ああ、ディベート
071003 道に迷う
071002 腰砕け相撲協会
071001 横浜みなとみらい21
070928 花火を楽しむということ
070927 見学!ごみ処理場