も く じ
090317 水道は動脈である
090209 子供に水道施設の見学を
090115 水の安全保障5
090106 水の安全保障4
081224 水の安全保障3
081219 水の安全保障2
090317 水道は動脈である
 水道が都市の動脈としたら、やはり水道は基本的には公営でやるべきで、経営収益を基本とする民営化には馴染まない。公営では無駄が多くでるので民営化するというのはあまりにも短絡的で、無駄は省くように常に努力すればいい。公営の基本は経済収支ではなく公共の福祉である。戸籍事務と同じ範疇で見なければならない。
 外国への援助も水道に関しては収益を目的にしてはならない。仏英の巨大水会社が世界を席巻しているからといって、それに対抗して収益を基本とする商売はすべきではない。    
 政産学官連携の「チーム水・日本」の立ち上げが報じられた。行政の枠を乗り越えて水問題を総合的に取り組むことはこれからの水問題にとって重要なことである。小生がちょっと気になるのは、わが国のばらばらの技術を結集して、水の商売として欧米の会社に対抗することが強調されていることである。
 それぞれの国が存続するに最小限必要なものは食糧と防衛である。わが国は両者について多くを外国に頼っている。不足分はカネで補っている。国際化した時代でも正常な状態とは言えない。
 ただし、食糧の中に含めてもいい水、生命維持に欠かせない水については、わが国は完全な独立国である。水はその国の動脈である。動脈を他国に依存するのは悲劇である。それに乗じて稼ぐことに、小生は心良しとしない。医者は病人で稼ぐのでなくて、人を助けることを一義とすべきである。
 現在わが国の水関係者が結集する機運が生じているのは、「病人で稼ぐ」ことを主眼とするならあまり感心しない。欧米の会社が世界を席巻しているからといって、その真似をすることはない。施設建設の資金援助と技術教育を主とする今までの援助方式は基本的には誤りではない。
 わが国が明治維新に外国の技術を取り入れる時、外国に施設と経営を支配されることはなかった。わが国が出来たことを今の発展途上国が出来ない筈はない。技術そのものの習得はそれほど困難ではない。必要ならわが国最高の技術を習得させることも、今までわが国がやってきた方法により可能である。
 施設をそのものより経営のノウハウ、とくに財政の健全化手法を技術習得に紛れ込ませて、その国の水道を乗っ取ることは世界の大水道会社は得意とするところである。そのような手段で収益を得て先進国の富にするということは、過去に発展途上国の遺産を収奪することを行ってきた先進国の手法と大して変らない。なぜなら水道はその国の動脈であるからである。

090209 子供に水道施設の見学を 
 昨年の日本水道協会の総会終了後、「水道の持続的発展と教育」をテーマとしたシンポジウムが開かれたという。たいへん良いことである。いままで水道と教育の場を結びつけた議論はなされて来なかった。水道に関する興味を持ってもらうためには、小さい頃から水道とは何か、どのようなシステムであるかを、目で見て知ってもらうことは効果がある。
 かつて、水道水飲用行動に関するアンケート調査をした時、小学生の頃に浄水場を見学した生徒は成人後に水道水を飲む傾向が強くなるという結果を得た。
 水道水が市販のペットボトルに比べ格段に安く地球環境的観点から好ましいから、水道水を飲んでもらいたいと思っていた。今ではもっと積極的に、水道は社会の動脈であり健全でなくてはならない、そのために皆が水道を育て水道水を飲む責務があり、一方で水道水を供給する側はそれに答える義務があると考えるようになってきた。
 人類は地球上で60億以上の人口を占めるようになった。自然環境に手を付けながら都市生態系を発達させてきた。人類の維持を至上命題とするならば都市生態系の保全は絶対的なものである。都市生態系においては水道はライフラインどころか動脈である。
 動脈を健全に維持するためには皆が積極的に利用しなくてはならない。積極的に利用しようとするものはそれを良く知っていなくてはならない。よく知るには水道施設を見、水源から利用の末端まで水の流れに沿って視覚を通して知ってもらうことである。
 浄水場のほか水面の広い貯水池や沈殿地は格好の見学地であるが、水源が表流水なら取水口、大口径の管内、水道工事現場なども見学対象になる。
 昨年、大阪府の庭窪浄水場を見学した。20万m3程度の中規模施設であるが、生物接触濾過池やオゾン処理、粒状活性炭処理の高度処理施設を備えている。非常にコンパクトに纏まっている。しかし、現在は何処の浄水場もそうであるが、覆蓋がしてあって水を見ることができない。わずかに粒状活性炭層が観察窓から見えるだけである。
 その味気なさを避けるために、屋内展示施設がしっかりしている。歴史、浄水処理の仕組みの模型、淀川のワンドの生物が展示してある。また、水づくりの体験室に各浄水プロセスの仕組みをお遊び的に操作できる模型がある。子供たちが楽しみながら水処理の仕組みを目で見ながら実感できるようになっている。
 管理本館に行く途中には「きらら水広場」という屋外展示施設がある。浄水場の仕組みを遊具で表したものの他に、水の力を利用し「触る・動かす」ことによって遊ぶことができる施設である。「ししおどし水時計」「三連水車」「手回し発電噴水」「ウォーターガン」「シーソーポンプ噴水」「自転車型発電噴水」などがある。
 これらの施設も子供達が大変喜びそうな施設であり、小学生が来た場合は早めに切り上げるようにしないと居着いて困るとのことである。
 このような施設を通じて子供の時から水道に馴染ませて、大切にすべき「おいらの動脈」をしっかりと認識してもらうように心掛けるべきである。↑ページのトップ
水の安全保障5―システムを支えるのは人事である
 システムを支えるのは人である。「水の安全保障」との大テーマで将来の水のあり方を論ずるときに、そのシステムを支える人のことを考察することは、非常に重要である。役立つ人の確保は、教育と人事である。
 コンピュータ化時代においても過去のアナログ時代の苦労と経験を伝承する必要性は強調しておかなければならない。例えば、水道に勤めていた頃、水質担当の小生が管網図面を見て管網の中で水がどう動いているか、バブルの操作によってそれがどう変わるかを一目みてわかるような技術を教わった。そのようなノウハウの伝承が行われているか疑問である。
 生物は生き物である。人の予測外の現象が起こる。全国の湖沼やダムで、今まで問題を起こしていた生物がいつの間にか姿を消したかと思ったら、新しい生物が現れて悪さをしたり、今まで現れなかった季節に悪臭を発する生物が現れたりする。今までの知識が直裁的には役立たない。やはり生物的センスをもにつけた人でないと、先を見越した判断が出来ない。
 滋賀県琵琶湖科学研究センターにプランクトンを担当している一瀬諭さんという優秀な研究者がいる。琵琶湖というわが国にとって大事な大湖を見守る研究所だから、プランクトンを扱うことが出来る後継者を採用し育てていると思っていた。しかし、彼自身が水中微生物のわかる若手の採用がないことを悩んでいた。
 琵琶湖を研究する研究所には、プランクトンを扱うことが出来る研究者がコンスタントに存在する必要がある。なぜなら、プランクトンは湖の生物相を構成している一群であり、湖の生態、水質の変化に主要な役割を果たしているからである。
 また、湖に限らず水塊におけるバクテリアに関する研究者・技術者がほとんどいない。土壌の生態からわかるように、バクテリアは目に見えないけれど非常に大きな役割を果たしている。目に見みえる魚介類、藻類、そして顕微鏡的大きさのプランクトンと同じぐらいの影響があり、湖の生態系や水質の変化に関与しているはずである。
 バクテリアの関与を無視していては、いくら立派な研究所でも、そこでの湖解析能力には限界があると思っている。水界に関する研究所は、汚染監視だけをしていれば良いというものではない。それでは先を見越した対策が取れない。
 しかし、全国的にみても湖沼のバクテリアを研究する人を配置していない。重要性が認識されていないだけでなく、人事における職種区分の拡大に対する融通性がないことも大きな原因と思われる。
 ここで言いたいのは、あまり脚光を浴びないがこれからの水道に必要な欠かせない職務と過去の積み重ねがあり、それを過小評価すると壮大な未来構想も絵に描いた餅になってしまう可能性があるということである。↑ページのトップ

090106 水の安全保障4ー生物のコントロール
 
自民党の報告書だけでなく、水道の未来を語る報告書で語られていないのは、技術の継承と人材育成である。詳細に記述されているのは「水供給〜これからの50年」(持続可能な水供給システム研究会編:技報堂出版)が唯一と言っていい。
 大学における教育については各大学あるいは各学会で論じられることがあるので、特に未来像においては語る必要がないと思われているが、小生は何か少し不安に思っている。小生は生物出身というマイナーなグループに属している。そのマイナーの立場からの意見を述べる。
 今日、水道生物関係者で語られる話に「生物出身者が採用されないから生物専門家が育たない」と言うのがある。緩速濾過から始まったわが国の水道では、優秀な生物技術者が育った。顕微鏡スケールの生物をコントロールすることが、緩速濾過方式の上水技術では重要であったからである。
 急速濾過方式が主体になるにつれ、生物コントロールの必要性は少なくなってきた。しかし、生物による異臭味発生、水源における特定生物の大発生、クリプトスポリジウム感染症発生など、生物が関係する問題は無視できない。以前より重要度は低くなったとはいえ、あるレベルの生物対策技術は安全な水を供給するためには必要である。
 水道は公共団体が運営している。公務員の人事採用は一般的に汎用性の高い職種だけが採用の対象になる。そのため、生物職種のように少ないけれど必要であると言う職種は採用対象にならないことが多い。別の職種で採用されたものが生物担当となる。
 別の職種で採用されたものが生物担当になっても、個人の努力で通用する技術者になることは可能である。しかし、完全に生物的知識をマスターするためには、機械出身者が電気技術者になるほどの苦労がいるし、本人自身の興味も完全に異種のものに移るとは限らない。
 また、公務員事務の汎用性の性格から、折角馴染んだ新しい職種から突然別の職種に変えられることが常態である。国立健康保健科学院の水道工学部が毎年、クリプトスポリジウムの講習会を行っているが、講習を受けた受講生は、職場に帰ってから数年のうちにクリプトスポリジウム検査をする部署から他の部署に配置転換されている。
 公務員が広い範囲の職務に精通しておく必要があることは認めるが、ある分野について広くかつ深い知識を持つ人を確保しておくも重要である。もし一つの事業体でそれぞれ確保することが困難なら、広域あるいは流域単位で特定職種の技師を確保すればいい。
 将来の水問題に関して、細かい職種のことを述べているようだが、生命を預かる水道は、構造物を作るという目に見えるハードな部分のほかに、地味であるが欠かせない側面があるからである。それを見過ごすと「蟻の一穴から堤防の瓦解」に繋がり、一挙に水道の不信と、さらにはシステムが不能になることが懸念されるからである。
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081224 水の安全保障 3ー水道の広域化ということ
 
新幹線の0系車両が廃止になるのに伴って、それを惜しむ鉄道ファンの名残を惜しむ姿がテレビで放映された。小生は新幹線開業3日目に米原から東京まで乗った。確か東京で開催された国際水質汚濁防止会議に出席するためである。満員かと思ったら、早い速度の運転は危険という噂が流れていたためか、座席はガラガラであり、座席の上には記念パンフレットが置いてあった。
 速度が速くなると距離を縮める効果がある。それによって相互方向の物流が活発になると期待するが、一方方向の流れが加速する。人が集まる集積効果が生じ、経済活動、医療、娯楽などが集中方向に向かう。その結果が東京一極集中である。
 水道はシビルミニマムとして人々の生命と生活に必要な水を供給する使命を持っている。元来は必要な水が得られる処に集落が発達してきた。都市が発達するにしたがって取水できる水量が都市の規模を決める要因でなくなり、不足する水を他の場所、他の水系から導入するようになった。
 水を送る導水技術が進歩するにしたがって他の水系からの取水が容易になる。取水可能量によって人口規模が決まる段階が、もっとも自然に馴染む人口規模である。流域における総合的水利用計画を立てることが、立て割り行政を排するためにまず行うべきことである。その場合は利水、排水、降雨予測などのすべてを勘案しなくてはならない。
 すでに他の水系の水に頼っているケースも多い。その場合は水系別の計画に上乗せする形で計画を見直すことになるが、水を取られる形になる水域でも基本的計画の変更をしなくてはならない。要するに広域的水利用は個別的水域の水利用の上に立って調節的に計画を立てるべきである。
 取水は他の水系に頼る場合もあるが、排水は他の水系に送るということは一般にはない。しかし、排水を可能な範囲で処理をしてから、他の水系から取水した量の水を元の水域に返して水系ごとの水収支を合わせるのが本来の水利用の姿ではある。
 広域化すればするほど水の融通性は高くなり、水道の立場から言えば断水リスクは小さくなる。しかし、それは新幹線効果と同じく人口の集中に加担し、水の有難さを実感しづらくなる。
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081219  水の安全保障 2ー水利権の整理と流域管理
 
水行政を一本化し、そのためには水基本法を制定し、それを基にして現在の各水関連法律を位置づけるのが好ましい。ただ、水利用には利害関係が生じる場合があるが、そのような時に利・害部局が同じ行政部局に属していると、案外とルーズになりやすい。ブラジル・サンパウロで、上水の水源に流入する排水が当然規制すべきほどの濃度であったが、同じ組織に排水を出す部門が属しているので規制しにくいと聞いたことがある。
 わが国において上水道と下水道が同じ局に属している事業体がある。法律が整備されていて、特に問題は起きていない。同じ部局なら排水口は水道の取水口の上流になり、問題は起き難い。しかし、食品の監視や偽装の事件でみられるように、よく知っているためにかえってなあなあ的事務処理が行われる危険性はある。
 水行政一本化は単に法律を改正するとか行政組織をいじるだけでは上手くいかない。それを本当に必要とする社会システムの構築とそれへの理解に努力が求められる。法律が先かシステムが先かの問題があるが、水行政を改編するための市民への理解を広く得ることがまずすべきことと考える。
 水はまず雨となって大半は川に流れる。川の水が海に行くまでにいろいろのところで多様に使われる。誰でも知っている当たり前のことであるが、川を流れる水は歴史の時間の流れとともに使われてきたのに、その都度使い方については見直しが行われてこなかったので、システム化がされていない。
 水の流れとそれに伴う地勢に沿って人間活動が行われてきたが、水の流れを人間が支配するにつれ一体化していた流域が細切れになってきた。許可水利権と慣行水利権が入り乱れ、後発水利権を獲得するためにダム開発が加速した。その反省が脱ダム宣言となっていろいろな話題を呼んでいる。
 昔は川が主要交通機関として機能し、物流に主要な地位を占めていた。生活に密接に関係していたから、住民の間にも流域と言う概念が根付いていた。しかし道路が主要な交通機関になるに従ってモノは横断的に動くようになり、クロスカントリーな文化の交流とともに流域単位にものを考えることが薄くなってきた。
 しかし、水の利用と環境保全の立場からは、自然の流れに沿った流域全体をまず一つ単位として水を配分を考えるべきではないだろうか。淀川水系には多くの自治体が存在している。大阪府の川沿いの各自治体は自己水源として地下水を取水し、さらに淀川から上水のために取水している。そして、そのほとんどの自治体が不足した分を府営水道から受水している。
 そのような場合、水利権を一本化して府営水道に統一すればいい。水道はボトムアップで各自治体の要望によって建設してきた経緯があるが、流域管理の観点から一本化した方が良い。流域管理をさらに別の流域と水を融通する広域化がスムースになり、渇水に強くなる。水利権の整理と流域管理は切り離せない。
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水道の来し方行く末
  Mitsumi Kaneko
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